金田んち

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交わることのない学歴層

「ドラゴン桜」が書かない本当の日本の底辺 : 人類応援ブログ
読みました。
学力の二極化はずいぶん前から言われてた問題で聞いたことがあったけど、上記リンクの記事中に「本当の底辺層は可視化されていない」という部分にはっとした。

でも良く考えると、底辺層の人からしても高学歴層の人の実態については見えていないんじゃないかと思う。
だって高学歴層の人たちの姿ってテレビなんかで取り上げられて見える化してるとはいっても、それはテレビの中の話であって日常生活の共通体験みたいなのが何一つとして存在しないから。

俺は生まれも育ちも田舎者なんですけど、そこに住むほとんどすべての人たちは教育環境に選択の余地がほとんどないと言っていい。
保育園や幼稚園を卒園すると、それぞれの校区の公立小学校に入学し、また既定の公立中学に進学する。
高校受験でやっと選択の余地が出てくるけど、ほとんどは地元の公立高校(5校くらい)からの選択になる。
だから高校を卒業するまでは微小な範囲の拡がりはあっても地元のメンバーと学生生活を送ることに変わりはなく、自ずと価値観は閉ざされそれが当然である。

たまにテレビドラマなんかでやってる小学校受験や中学受験やそれに関連して必ず起こるママ友同士のいざこざなんてものが世の中にあるだろうことは知っていても、自分自身がその環境に身を置くことはまずない。
子どもとしては自分の住んでる地域の小学校や中学校に義務教育だから嫌でも行かなきゃいけないっていうのが俺たちの学校に対する感覚で、義務教育の段階から受験するなんて拒否反応すら出るレベルだし、親はたいてい共働きなので、ママ友同士が共有する時間なんて持ち合わせていないから派閥も出来る余地がない。
だから他の親とのいざこざなんて、よその子を怪我させたとかが起きない限りあり得ない。あんなのはおとぎ話の世界みたいなものだ。

それでも一応親は将来のために勉強しろとは言うけど、子供たちの目にする周りの大人はみんな同じようなものなので勉強して将来どういうメリットがあるのかが分からない。
たまに子どもの時勉強したあの人は東京で社長になって金持ちで良い暮らししてるとか聞いたとしても、実体験として周りの大人たちの中に勉強して成功した人達なんて目にする機会がない。
本物の高学歴層っていうのがいくらメディアの力で可視化されても自分たちの生活とは切り離された人たちとしてしか受け取りはしない。

だからこういう地域にいる子供たちの学習意欲ってのは目も当てられないほど低い。
学校で出された宿題でさえも真面目にやれば優等生ぶるなとバカにされ、学校で受けるテストでいい点とるのも「勉強せずに」とれたものだけが称賛される。
勉強の出来不出来が努力じゃなくて運動神経とか美男美女の顔の造形みたいに天から与えられた才能だと信じ改善の余地がないものだと思い込んでいる。
だからこそ才能がないのに無駄な努力をするなとバカにされるし、勉強のできないものは一生勉強できないものとして生活してゆく。
さらに周りの大人を見ても勉強なんて出来なくて当たり前だし、みんな生活も出来ているから特にそれ以上を望もうとも思わない。

たぶんリンク先の記事にある小学校や中学校で勉強についていけなくなる人って、こういう努力して勉強することに対する偏見みたいなものが関わってるんじゃないかと思う。
一旦授業中に躓いた部分を復習して出来るようにするなり先生に聞きなおすような、仕事なら当たり前のことがバカにされず出来さえすればかなり改善されると思う。

んで勉強ができなくても低学力の人が生きていくために稼ぐ社会の受け皿として、男なら肉体労働ってのが俺の田舎じゃ常識である。
この辺の人たちは学生時代に喧嘩や部活で肉体的には不自由なく鍛えられてるし、同じような学力だった先輩も肉体労働で一人前に大人になってる。
そして20歳前後でだいたい子供を産んでて、俺の親もそうだったけど父親の仕事服は鳶服やつなぎといった作業着が普通であり、サザエさんクレヨンしんちゃんに出てくる父親の仕事着には違和感があった。
その先輩たちは自分のあるべき未来の姿でとして、一種の憧れの存在でもあるから同じ道を辿る。メジャーに渡ったイチローに憧れて同じく海を渡ったムネリンのように。
だから若者の車離れが叫ばれる今でもヤンキーたちの車好きってのは終わることがない。代々先輩たちがやってきたことは当然自分も辿る道として準備されていて、その既定路線で生きていくことがカッコいいのだから。

ただこうした低学力の人も、勉強すれば何かが良くなるだろうことは知っている。
世の中を動かしている多くの人は高学歴だとテレビで言っているから。
しかし一方で周りを見渡すと、勉強しても自分たちと同じように日々の生活が苦しい人たちも知っている。
つーかそっちの方が身近であるし、もっと高学歴の人たちの成功体験みたいなのをあまり目にしないけど、苦労話みたいなものはメディアを通して世の中で多量に共有されているから。

そしてこの層の人たちが肌感覚として持ってる高学歴の人っていうのは、同じ地元中学を卒業した友達の中で、地元の中で進学校とよばれる高校に行った井の中の高学力な人たちのことだ。
なにしろそれ以前の受験なんて知らないから。
全国的に見れば全然凄くもない偏差値60程度の高校にでも入学できれば「すごく」勉強出来る人になるが、それくらいの学力だけじゃ世の中なにも役に立たない。
だから本来学力と収入がある程度比例関係にあるとはいっても、目に見えて高収入な人なんて周りにはいない。それ以上高学歴の人については地元にはいないため、テレビの中にいる人で芸能人みたいな感覚でしかない。

しかしこの高校受験で初めて学力は才能じゃなく努力で身につけるものだと知ることになる。
受験というイベントを突破するにはイヤでも勉強しなきゃいけないし、塾などで勉強のテクニックを知れば努力で成績が伸びるものだと体感出来るから。
なので自分の子供には「勉強はしたくないならしなくてもいい(自分がそうだったしやっても大差ない)。でもやらずに後悔をするのは自分自身。ただ高校だけは卒業しとけ」みたいなことを言う。

これは友達のひとりが実際に言ってた話で、その友達は高校の数学の時間中やってたのが小学校3年生の算数ドリル。
それもやっと解けるレベルで勉強の面白さも分からないし親から言われた学校の必要性も分からなかったから中退した。
それから(肉体労働で)働こうと就職先を探したらしいけど、高校中退という学歴がネックになってなかなか就職が出来なかったらしい。
どんな職でもその条件として「高卒」というのが最低ラインになっているようで、そんなところで勉強しなかったことを後悔したんだとか。

こんな人たちが普通に存在する環境で育った俺としては、そんな状況が可視化されていないという文字にショックを受けたんですけど、考えてみると俺は小学校や中学校受験をやってきた人たちの環境について知らないから、向こうからも知られていないのも当然だなと思った。

日本のかじ取りをしてるのがほとんど高学力・高学歴な人たちである中で、その人たちには可視化されてない多数の底辺層がいる状況って危ないんじゃないかと思うし、逆から見れば底辺層にとって本来的には可視化されてない高学歴層の人の言動なんて自分たちには関係のない蚊帳の外の出来事なんだって感覚になる。
なんか現場を知らない指示官のようなチグハグな現状。

そこで、分断された階層をなんとか繋ぐためのパイプが必要だと思うんですけど、その役を何が担ってくれるのかってことです。
リンク先の人みたいにどちら側の視点も持った人がネットでそれぞれの世界を書き記すことも一つの方法なんだろうなとは思うけど、果たして文章だけで互いの層が感覚的に分かりあうことが出来るのか。
また、公立の小中学校と違い自由選択で行くことのできる塾や予備校で各層との交点的な役割も担えないのかなと考えはしたが、学校と同じく高学歴層と低学歴層の地域的な棲み分けがなされていて物理的距離問題の解決法が分からない。
やっぱ学力格差を有する現状の解決、底辺層の学力の底上げが方法としては一番良いんだろうか。

日本全体の問題だからえらい人たちが色々方策を考えているんだろうけど、果たして高学歴のえらい人が感覚的には知らない底辺層にどこまで寄り添えるんだろうか。
なんとなく危ういよなぁとの感想は持ったものの、俺に考えられるのはここまでで解決法まで考えが及ばないのはあまり勉強をしてこなかったからなんだろうな。