金田んち

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人とのつながり

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読みました。

死んだらどうなるのかについてなんて生きてる間はずっと分からない人生で一番難しい命題だと思うんですけど、どっかの誰かが死んだらどうなるとか死ぬこととか生きることという生物の根っこの部分について考えられるのは生きてるその場が平和であり暇がある証拠だとか言ってた気がします。

その意見についてはただただ生き延びることに必死の間、毎日食べ物を探して狩りに出てなんとかその日自分や家族が生き延びるための食料を確保し、また次の日の狩りに備えて寝る。寝ている間も外敵から襲われないように警戒心を保ちつつ寝るもんだからろくに疲れも取れずに次の日を迎えまた狩りに出かけるみたいな毎日を過ごしていたらそりゃ死についてだとか生きる意味だとかについて考える暇なんてないだろうし、そんな暇あるなら少しでも目を閉じて体を休めようとするんだろうななんてことを考えまして、だとしたら納得できる部分もある意見だなと思います。

さらに現実にはこうして僕たちは平和な毎日を過ごし、自分の生きる意味や死についてや死後のことについて考える猶予のある幸せな生活を後れているんだなと考えつつも、そんなことについて全く考えることなく毎日をただただ生き抜くことだけを考えて最期を迎えることもある意味幸せなのかとも思ったりするわけです。何かについて知ったり考えたりする自由は誰にでもあるのですが、そういった分からないことや未知のものやいくら考えたって答えの出そうにないものについて敢えて分からないまま、知らないまま、考えないままにする自由もあってそちらを選択する方がかえって幸せな場合もあるのかなと。

昨日よんだ上記リンク先にツイッター

輪廻転生ってあるじゃん?初めてなのに初めて会った気がしない人とは前世のどこかで会ったことある人とまた巡り合ったんだと思う。

とコメントさせてもらったんですけど読み返すと気持ち悪いですね

でもよく子供のころ思ってたのは、今日の今現在たまたま俺はこの体を使ってるけどある朝目覚めたら突然弟の体と入れ替わるとかあるかもしれないなんてことを思ってて、なら弟がこの体使うときに困らないようになるべく怪我しないようにしとかないと入れ替わったら骨折してたとか迷惑だろうなとか思ってました。

そしてなんかある日突然使う体がどんどん変わってそのうち現世の日本に存在する体から来世のエジプトとかオランダとかの人の体を突然使うこともあるんだろうなと思ってまして、ヤドカリは自分の大きさに合わせてどんどん住処を変えていくみたいな感じでどんどん棲みつく体を変えていくのが人間みたいな考えを持っていました。

その考えが崩壊したのはいつ頃だっただろうか、たしか脳の勉強をした時だったと思いますけど、人間は味覚も痛覚も感情も何もかも脳みそで処理しているのだ!そんなバカボンのパパなのだ!みたいなことを知って、それまで人間の中身である俺という魂みたいなものが痛覚や味覚や愛なんかのすべてを持っていて、それを持ったまま他の体に移り棲むという考えがひっくり返され大きなショックを受けた記憶があります。

この、人間は脳がすべてだ!という考え方が正しければ輪廻転生なんとことはあり得ない、いや分からない実におもしろいんですけどたまに前世の記憶が蘇った人間がどうとかってテレビ番組とかあるので全面的に脳が全てだ論を信じ切れていないのです。だからかなり気持ち悪いですけどリンク先へのコメントにあのようなことを書いたわけなんですけど、人って前世とか現世とかのつながりは別にしても必ず誰かとつながって生きていくじゃないですか。

大昔は目に見える範囲のそれこそ隣町のあの人みたいな範囲が人との繋がりの上限だったものがネットが普及した現在においては世界中の見ず知らずの人とつながることが容易くなりまして、つい先日も長らくログインしていなかったフェイスブックにログインしてみると友達が吉岡ひとみさんという人のリンクをシェアしてました。
吉岡 ひとみ | Facebook
リンクの内容としてはまだ赤ちゃんの娘さんに腫瘍ができて余命宣告までされたので誰か助けてください、直接の助けでなくともシェアだけでもしてくださいというようなものでした。友人はおそらくこの人と直接のつながりはないと思いますが、リンクをシェアという形でこの人と繋がり、また同じように多くの人がこの人のリンクをシェアしたことによってどうやらアメリカで腫瘍の手術を受けられるようになったようですさらにアメリカの医者自身か病院からかは分かりませんが英語で届いたメールを誰かが日本語訳してくれたようで、絶対昔なら繋がることのできなかったような海外での手術も、人同士がネットを媒介して簡単につながることが出来るようになったからこそのものなんだと実感しましたし、どのくらいの可能性で赤ちゃんが助かるのかわかりませんが、とにかく助かる可能性が出来たのは良かったし、リンクをシェアした人たちみんなが見ず知らずの赤ちゃんの命を未来につなげようとしていて命の尊さを感じました。