金田んち

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ばぁちゃんの手を握る番

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お盆は長期連休こそなかったが、ふだん通り土日が休みだった。
その休みを使って何か家族で夏っぽいことをしたいと思い、実家でバーベキューや花火をすることにした。
そこで父から「ばぁちゃん、もうだいぶ弱ったよ。いつ死んでもおかしくないかもしれん」と告げられた。

土曜の昼ごろ実家に着き玄関を開け「きたよー」と言うと、ジジババは孫の元に駆け寄り「お~よく来たね」と笑顔を見せた。子より孫を可愛がれるとはよく言ったもので、実の親のそんな笑顔を子供のころに見た記憶はない。
ジジババにとって、やっぱり孫の存在と言うのは大きいのだろう。孫が生まれるまでは、実家に帰る度「あぁ、やっぱ年なんだな。体力も落ちたのかな」と感じる両親の言動があったのだが、最近は会うたびにパワーアップしているように感じる。

ジジババは心底孫と触れ合いたいみたいで、息子がちょっとでもぐずると、ジジが「外行こうか」とか「ほら、ボールで遊ぼうか」とか「高い高いするか?」と構ってくれる。
息子が1人で遊んでいても興味を惹こうと話しかける。
もう70近いのに、その元気はどこから湧いてくるのか。

ババもそう。昔よりもだいぶ痩せた、見た感じ40キロくらいしかない体で12キロオーバーの息子を抱いて走り回る。
いったい細い体のどこに、そんな力が隠れているのか。

そういえば俺のじじばばも同じようなものだった。
俺が小学生の頃、毎週父方のジジババの家へ遊びに行っていた。足の悪いじぃちゃんに替わって、ばあちゃんの手におえない田畑や裏山の手入れをする両親に連れられて。
時々手伝わされる大量に刈った草の始末は、痒くて痒くてたまらなかった。

大人になって母から聞いた話によると、我の強いばぁちゃんとの生活に耐えきれず、俺が赤ちゃんの頃に同居をやめたそうだ。
当時、ジジババの家から車で15分くらいの県営住宅が俺たち家族の家だった。家が近いのになんで同居しないんだろうとは思っていたが、そういう事情だったらしい。
子どもの俺から見ると、母とばぁちゃんの関係は良好そうに見えたが、距離をとったからこそ保てた関係性だったのかもしれない。

ジジババの家に行っても両親は遊ぶ暇なんてなかったから、俺と弟の遊び相手はジジババだった。
当時70代だったじぃちゃんは今生きてたら90代、身長は170を超えていたので、その年代の人にしてはかなりデカい方だと思う。足は悪かったが、生まれ持った体格の良さに加え若いころ相撲で鍛えたらしく、けっこうゴッツイ体をしていた。
俺がカラーバットとカラーボールを使ったバッティングにハマっている時、じぃちゃんは不自由な体にも関わらず、毎週100球以上も付き合ってくれて「プロでも100球投げたらバテるんぞ」と笑っていた。
よくそんなスパルタリハビリみたいな遊びに耐えられたものだ。今考えると、相当酷なことをしていたと思う。

ばあちゃんは大体の時間を家事に費やしていた。ずっと畑仕事をしていたためか、腰は常に「く」の字に曲がっていて、140センチくらいの身長がずっと小さく見えた。小学校低学年の俺と目線の高さが合うくらいだ。
ある時、俺と弟が居間に寝転んで並び宿題をしていた。居間の隣には脱衣所があり、ばぁちゃんはそこで洗濯をしていた。
外の物干しに行くため、洗濯かごを持ったばぁちゃんが脱衣所の扉を開け、何を思ったかぴよーんと並んだ俺たちを飛び越え、オッホッホと笑いながら洗濯物を干しに行った。
あの脚力は70代の婆さんのものとは思えなかった。そんなスーパーばぁちゃんだった。

毎週会っていたジジババとも、中学生になると年に何回かしか会わなくなった。
部活を始めたからだ。
ジジババと会うことが嫌だったわけではないが、土日にもっと友達と一緒の時間を過ごしたかったから部活に入った。

間もなく、じぃちゃんが転んで骨折し入院した。
入院がきっかけだったのかは分からないが、徐々に体力が衰えていったじぃちゃんは、俺が中学1年生の冬に死んだ。
葬儀の日、棺桶で眠るじぃちゃんの顔を見ると、遊んでもらった思い出で頭がいっぱいになった。
その夜、久々に泣いた。家族に泣き声を聞かれたくなくて、込み上げてくるものを押し殺すため、枕に顔を押し付けて。苦しかった。

ばあちゃんはじぃちゃんが死んですぐにボケた。
急速に物忘れが激しくなり、このままいくと特に火を使う炊事の時なんかが心配だと、老人ホームへの入所の検討を始めていた。
ちょうどそのころ、じぃちゃんと同じくばあちゃんも転んで骨折し入院した。
入院するとボケの進行はさらに早まった。何度かお見舞いに行ったが、来ている人が誰なのか分からないらしく、聞いたこともない人の名前で俺のことを呼ぶことがあった。日が経つにつれ、それは珍しいことではなくなった。スーパーばぁちゃんの面影は既にどこにもなかった。

このまま家に帰すのは危険なので、ばぁちゃんはこれをきっかけに老人ホームに入所した。

そして先日、父からの知らせを受けた。
最後にばぁちゃんの顔を見たのはもう半年くらい前だ。93歳という年齢からしても、もうそんなに長くはないだろうなと分かった。

しかし、それは分かっただけで受け入れきれてはいなかった。いざ「いつ死んでもおかしくない」という言葉を聞き、死から目を逸らしてしまった。
「もう誰が行っても分からんし、子供の面倒見るのも大変やし行かんでいいよ」
という父からの言葉に逃げた。これまでは会いに行けていたのに。
「そうやね、老人ホームで泣いたら迷惑やろうしね」
子供を言い訳にして逃げた。

いくら目を逸らしたところで死期が伸びるわけではない。昔のスーパーばぁちゃんに戻るわけでもない。
じぃちゃんの弱った姿は俺の中には残っていない。
次は逃げずに、ばぁちゃんには会って現実を受け入れようと思う。ばぁちゃんの歴史を感じるために。
すっかりやせ細ってしまったが、毎週俺の両手を包んで「またおいでね」と言っていた、長年の畑仕事や炊事でごつごつしていたばぁちゃんの手。俺が誰だか分からないだろうけど、今度は俺がばぁちゃんの手を握って、昔のように「きたー」と言ってみようかな。