金田んち

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すごい表現で書かれたブログ

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※追記 このエントリを書き始めた昨日(9/23)の時点ではブログが読めたんですけど、どうやら昨日から今日にかけてブログの公開をやめられたようです。 非常に残念ではありますが、またブログが復活するまでは中沢こえさんの綴る「深海のこえ」が読めなくなりました。 読めないブログをオススメするのも如何なものかとも思いましたが、一人の愛読者として是非ブログの公開を再開されることを願いまして、このエントリは残したいと思います。※

ツイッターのTLに流れてきて、たまたま読んだブログなんですけど、独特の視点から自分の経験したことや感じた事を書かれてて、こりゃすげー書き手に出逢ったぞってときめいたことを覚えてます。(ときめくオッさんってなんか字面が汚いっすね)

http://crankyy.hatenadiary.jp/

こちらのブログなんですけど、記事を遡って読んでみると、対人関係があまり得意じゃない人らしく、どうやら長いこと引きこもりだったらしい。

で、何とか社会に出るも、やっぱり対人関係は不得手だし、受け持った仕事が電話対応ときた。

結果、過度なストレスによって、働き初めのうちは生理が止まったり、指の皮が剥がれて再生しなくなったりと、受けるストレスが身体的にも影響したそうな。

 

いやぁ人の特性を見分けるのは確かに難しいことではあるけど、大概酷、人事は失格ですね。俺に女性用下着の営業やれって言ってるようなもんだろ。(ちがう)

 

まぁそのおかげなのかは分かりませんが、この人が日常感じる辛さなんかをブログに書き始め、俺はそれを読むことができ、そしてその表現力に一発で惚れ込んで愛読ブログになったわけでして、中でも現時点で一番好きなのが「浮力」というエントリ。

周りの人から浮いていると感じる自分を、不安定で頼りない浮力を纏った自分みたいに表現されてる。 仮に俺が周囲から浮いてると感じたところで、そんな表現絶対思いつかないと思う。

凄い感性というのか、特徴的な視点というのか。 そんな斬新な表現と強く響く文章で、日常のあれこれが綴られてる日記的なブログなんですけど、まだ読んだことない方には是非一読をオススメしたい文章です。

 

と、オススメするだけで記事を終わらせるのもアレなんで、ここからはこの人の書く文章から感じた独特な表現や強い文章について、独り言のように考えを巡らせてみようと思います。

 

この人の記事を読んで、あぁなるほど、何度か目にしたことある「根暗の人が書いた文章は面白い」とはこのことか、と思った。

けど、ほとんど同時に、なんで根暗だと文章が面白いんだ?と考えた。 ここでいう面白さとは、俺が感じた斬新な表現や文章の強さに限定するとして。

 

まずは斬新な表現について。

 

根暗な人って、職場でも家に帰っても、基本1人で何かを考え込むけど、それを自分以外の人に伝える機会が皆無だ。

自分の感情や考えを誰かに伝えようとするとき、その言葉は自他で共有されることになるんだけど、共有されればされるほど、個性的な表現からは遠ざかる方が望ましい。

村上春樹の形のないものを言語として捉えた表現も、文章だから良いと感じるのであって、あんな斬新な表現は普通の雑談では必要ないし、むしろまどろっこしくて分かりにくいから、あり触れた表現に変えた方がスムーズに話が進む。

 

社会に出て周りから揉まれると「まるくなる」と言われるのも、他者と自分を擦り合わせないと円滑な人間関係が築けないから、他者と上手く付き合おうとすると自他の違いみたいなトゲトゲしさは擦り合わせによって磨耗し「まるくなる」。

社会で上手に生きていくためには、価値観が誰かとぶつかったり、上司なんかに注意されたりした時に、自分の考えや行動を変え相手と合わせようと試みる。

それでも残るどうしても曲げることが出来ず主張したい部分があれば、それが他人との違いであり個性と呼ばれるものになる。

 

つまり、誰とも共有されていない言葉を多く溜め込んだ根暗な人の表現は、他者への伝わりやすさや価値観と擦り合わされてない言葉が多く、その言葉によって綴られた文章は斬新であり個性的なものとなる。

 

次に文章の強さについて。

 

中沢こえさんの書いた文章を読んで、誰にも言えずに溜め込んだ感情や思考の発散って、走り幅跳びみたいなもんだと感じた。

体験した辛さの程度が助走の速さで、内に秘めた期間が踏み込みの深さ。

速い助走と深い踏み込みでより遠くまで跳ぶ走り幅跳びみたいに、これまで誰にも話せず溜め込んだ辛い体験を表現した時、それはより遠くの人まで届くものになる。

 

もちろん助走で疲れ果てると跳べないし、踏み込みも深すぎると助走の勢いを殺してしまうっていう程度問題ってのがある。

いくら強い感情があっても、内で煮詰めないまま勢いだけで書かれた文章は、踏み込みが甘くつんのめって遠くに跳べない時のように遠くまで響かない。

逆に、内に秘める期間が長すぎると、深すぎる踏み込みで助走の勢いを殺してしまうように、考えや感情を拗らせてしまって、そこにある強い勢いを殺してしまう。

 

中沢さんの文章は、助走と踏み込みのバランスが絶妙で、だから俺には強く響く文章だと感じた。

まぁ個人的にこの人の書く文章が好きだという相性の問題でもある気がするんですけど、世の中こんな文章書ける人いるもんなんですね。

ブログやツイッターやっててホント良かったなぁ。