金田んち

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打ち込むものがない幸せ

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普通の寂しさとは違う、底が無い寂しさ - はてな匿名ダイアリー
読みました。

分かる分かる。俺も結婚したし子供もいるし働いてもいる。んで何かやった時に感じる幸せって昔に比べて小さくなったと感じるし、これやってる時が充実してて幸せだー生きてて良かったーって感じる瞬間なんてちょっと思い浮かばない。強がりで言う場面ならいくらでもあるけど。
昔は部活やっててそれに打ち込めてたので、無心で何かに打ち込めてたあの頃って充実感に満ちて幸せだったなぁ思う。

んで思ってた。成長する過程で、あるいは世の中で言われる幸せ(結婚とか就職とか)が手に入ったから、俺の充実感の感情が腐敗したんじゃないかと。あるいは遭難。
果物や農作物も十分に熟れ育った後には腐敗する。その腐敗が上手くいけば発酵して新たな用途を与えられるけど、俺の場合は腐敗の方だから腐って終わり。登山だと他の人達は上手く下山出来たのに、俺の感情は途中で遭難して行方不明。
とにかく「寂しさ」を埋めてくれるような、過去には出来てたはずの打ち込める趣味なんて今の俺にはなにもない。

でもさ、こんな「寂しさ」を感じてるのが俺1人じゃなかったんだって、この増田を読んでほっとした。
しかしまぁ、この増田書いた人に何らかのアドバイスが出来るわけでもないんだけど、俺も感じてた悩みを赤の他人が言語化してくれたおかげでその悩みを客観視出来たし、そのうえで少し考えが変わったし。というわけで、俺も言語として残しておきたくなった。

ブコメには雲の上くらいからの目線で良くわからんコメントを書いたんだけど、俺自身底知れぬ寂しさみたいなのをふと感じる時がままあって、それは仕事がひと段落した時だとか、嫁や子供が寝静まって部屋で一人きりになった時だとか、そんなときに感じる。

それを紛らわすのに、何かに打ち込めってのは的を得たアドバイスなんだけど、仕事のように強制力の働かない趣味みたいなもんをやり始めても全く打ち込めない。
別に楽しくないわけではないんだけど、何が何でもやりたいとか、わざわざ他のことやる時間を犠牲にしてまで打ち込むほどの気概はない。

そんな俺でも前述したとおり中学や高校の頃は部活に打ち込んでた。特に高校の頃はそれだけが学校生活での楽しみみたいな感じてた。
だから、そのころ付き合った彼女には悪いことしたなと思ってるけど、練習の時間を削ってまで彼女と遊ぶ時間を作ろうと思えなかったし、むしろ部活が休みの時でさえ練習時間に充ててデートなんてろくにしてない。
なので、引退までの期間に付き合った何人かの彼女には別れ際に「私との時間もとれないような人と付き合わなければよかった」みたいなことを言われた。当然である。

それくらい部活には打ち込めたので、俺に何かに打ち込む素質が生まれつきなかったわけではないが、少なくとも今はそれがない。

じゃあ今と昔で何が違うのかを考えたんだけど、おそらく昔は嫌なことから逃げる先として部活を選び、その逃げを肯定するためにのめり込んだんだと思う。

何回かブログに書いたことだけど、うちの親は仕事のない土日に田畑や山の手入れをしていた。畑では少し野菜も作ってたけどそれで収入があったわけではなかったので、兼業農家とは言えないかもしれないけど、実質やってることは兼業農家のそれと大差ないんじゃないかと思う。

んで俺はその手伝いから逃げたかった。自由であるはずの土日が手伝いでつぶれるから。小学校のころは部活なんてなかったから、土日に友達との共通体験をした経験が俺には極端に欠如していた。だからなこそなんだろうけど、友達との共通体験が出来る場っていうのを中学でも高校でも必死に求めた。

その求めた先にあったのが部活と言う場所だった。

逃走先ではあったけど、そこはホントに心地のいい場所だった。平日の放課後も土日も、そこには必ず友達がいて共通の時間を過ごすことが出来た。俺が入ってたのはテニス部だったので、もちろん他の部員よりも上手くなりたいという競技への闘争心がその逃げ場所にさらなる執着心を与えたことも事実ではある。
だから次第に「テニス」という競技そのものも好きになったし、いつの間にか逃走先としての部活だったのに、競技そのものが好きだから続けているし熱中できていると感じるようになった。

部活も高校生活も終わり、正社員としての働き口のなかった1年間は実家で暮らしたけど、今の会社への就職と同時に、親からの縛りがなんとなく残る実家暮らしをやめて一人暮らしを始めた。
その頃は親の縛りというのが嫌で自立を求め、その逃げ道として結婚を強く望んでいた。
幸い高校3年の部活引退後、今の嫁と付き合ってて「あ、この人だ」と思ってたし、お互いそんな話もしてたので、そのまま就職・結婚という運びになるのが俺の計画だった。

しかしまぁ人生そう上手くはいかない。高校卒業の翌年、俺と嫁は別れた。
今となってはそのまま付き合い続けなくて良かったと思ってる。視野や価値観が極端に狭かったので、そのまま結婚してたらと考えると恐ろしい。ほぼ確実に何かやらかしてたはずだ。
そして嫁と別れたことで、俺は増田のような「寂しさ」に駆られた。あぁ就職も自立の準備も出来たけど、準備だけで何にものこってねぇなと。

それで、またテニスを始ようとテニススクールに入会した。高校の頃あれだけ熱中できたテニスに、自由な時間が存分にできた今、誰にも制限されることなく思う存分打ち込もうと。
結果1か月も続かずやめた。ボールを打つ感覚は相変わらず爽快だったし、体を動かすことも気持ちよかったし、テニスという競技そのものはやっぱり好きだった。
でも熱中なんて出来なかった。

その頃から、あぁ俺はもう何かに熱中し打ち込むということが出来なくなったのかな、そういう執着心は腐敗したのかなと。寂しかった。

でも今改めて考えると、その時の俺には逃げ込む先としてのテニスなんて必要なかったというだけ。
そのかわり、嫁と別れていた期間はたいがい社畜だった。

社畜になるには「心を捨てること」と誰かが言っていた気がするが、俺の心やプライベートの時間なんて簡単に捨てることが出来たし、給料はだいたい人脈形成と人生勉強の為だと飲み会につぎ込んだ。
おかげで、飲み会の作法である「そのすべては上司のため」というものも感覚的に学んだ。
仕事そのものに積極的に取り組むのはもちろん、同僚が担当する仕事も積極的に盗んだ。残業はとてつもない時間やってたし、休日に催される懇親会的なイベントも全て参加した。
そう出来たのは、その時欲していた自立や自分の家庭への基盤づくりとして、今から長年勤めるであろう会社での生活を見据えていたから出来たことだろうと思う。

入社から3年後、嫁と寄りを戻し程なく入籍した今となっては、残業も飲み会もこれ以上の人脈形成もやる気なくクソくらえと思っているのも、やはり望んでいた家庭が手に入ったからだろうと思う。定時万歳定時万歳!

んで、なるほどと思った。何かに打ち込めない今を嘆く必要なんてなかったんだと考えなおした。俺はやりたくないことから逃げる必要がなくなっただけなんだと。
逃げたい何かがない現状では、何かにしがみ付く必要がない生活なんだから「寂しい」わけではない、これが幸せなんじゃないかと。

世の中何かから逃げるわけでなく、反対に何かを追い続けて打ち込める人もいるのだろうが、おそらく俺はそっち側ではない。

ブコメにはゼロポジションがどうのこうのって意味わからんこと書いたけど、つまるところ「寂しさ」なんていう暗黒空間を覗けば誰しも絶望を感じるし、それは果てしなくもある。
何かに打ち込んでる時、何かから逃げている時は追いつかれちゃいけないから、じっくりと後ろを振り返る余裕なんてないものであり、寂しさなんて感じない。しかし、それが果たして幸せなのかということだ。

俺はこの文章によって、俺自身をこういう考えで洗脳し肯定たいと考えているんだと思う。

あ、そういえば今ブログにハマってた。つーことは社畜ならぬB畜か。