金田んち

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涙もろい人

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こんばんは。ぜろすけさん発の小説執筆企画への投稿を終えてから何も書いていませんでした。5000文字もの長文執筆であったことに加え、慣れない架空の物語を作った(ありふれた日常のような、想像の域を出ることのないかなりチープなストーリーに仕上がったため、想像力の乏しさが露呈してしまい恥ずかしかったです)ため、力尽きました。

謝ります。いきなり嘘をつきました。

本当は書き終えた際の爽快感が癖になり、もっと長い小説(小説の定義が分からないので架空のお話くらいのものです)を書きたくなりました。
しかし、応募要項を見ると5000文字ということだったので、それならばと思いついたのが3部作(5000×3)に分割することです。
要するに一人で何度でも投稿が出来るならば、一つのお話を3つに分け、しかし書きすぎを避けるために逆順のタイトル付をして
『廃人 3』『廃人 2』『廃人 1』
というような3部作、123より漢字の方がカッコいいか…
『廃人 下』『廃人 剋』『廃人 上』
に仕上げるというような案です。アンデスではありません。

しかしそれも過去の話で、どんなお話にしようと思っていたのかすら忘れましたし、ぜろすけさんに「何度でも投稿していいのか」という質問をさせていただいたところ「一人一回の投稿が望ましい」というご回答をいただきましたので今後何か機会があればもっと長いお話を書いてみようと思います(需要あるのか…ないよな)。
まぁ俺の力の続く限り何度も投稿するとか迷惑ですからね、確実に。お尋ねするまでもなく自粛しろよてめぇ!と憤慨されたことでしょう。すみませんでした。

さて、先週末は3連休だったということで皆様おもいおもいの楽しい3日間をお過ごしになられたことでしょう。
あるいは溜まった仕事を片付けねばならぬということで、この連休を楽しく過ごす世の人たちに憎悪の感を抱いたのでしょうか。
はたまた商人たちは、この稼ぎ時を逃してはならぬ!と鼻息荒く普段以上に声を張り上げ客引きをされたのでしょうか。

俺はというと、連休の最終日に嫁の知り合いからの招待をうけ、嫁の母親を含めた5人で吹奏楽団の定期演奏会なるものに行ってまいりました。
定期演奏会への招待状をいただいた、という話を嫁から聞いたとき、如何せん我が家には小さな子供が2人もいるものですから、もし子供が演奏会に興味を示さなかった場合のことを想定しなければいけません。
特に自分の意志で動き回ることが出来るようになった息子の、いくつかの行動を予測した当日のプランが必要になります。

幸いにも都合のいいことに、演奏会の会場はJRの駅に隣接していたこと、また会場近くには小規模ながら公園があったことで、仮に息子が演奏会に興味を示さなかったにしても、公園で遊ぶなり、電車の往来を見せるなりすれば嫁は演奏会を楽しむことが出来るというプラン建てで、よし行こうということになりました。
息子は公園のすべり台や電車や飛行機などの乗り物をこよなく愛する人なのです。最近では食欲を捨て去ってでも、iPadにダウンロードしてある電車の動画鑑賞に時間を使いたいようです。
なぜ何度も同じ動画を見ているのに飽きることがないのでしょうか。

当日は電車好きの息子のためだということで、嫁と娘と嫁の母は車で、俺と息子は電車で会場に向かいました。
電車で、といっても2駅しかなく乗っている時間はほんの数分だったため、もっと乗っておきたいと物足りず泣きじゃくる息子を担いで電車から降りた俺の姿は、他の乗客には人攫いのように見えたかもしれません。

改札を抜け構内から出ると、そこは電車の往来を眺めたい息子にとっては絶好のスポットであったようで、息子の足でも徒歩5分とかからない会場までたどり着くのに15分以上はかかりました。
さすがにそれだけ興味津々の息子を力ずくで担いで会場に行くのは気が引けましたので、もう良いよね?との説得を只管続けました。通りすがりに俺と息子を見た人の中には不審者と思った人もいるでしょう。

やっとの思いで会場につき、演奏会開始の間際だったのでトイレに行っておこうと思い、息子を嫁の母に引き渡しおしっこをしました。
おしっこが終わり会場の入り口に行くと、入り口のドアに寄り添うつい先ほどまでいなかった女子高生がいます。ご期待に添えず俺のことを待ってくれていたのではありませんでした。なんと演奏の最中に人を入れないようにするための門番でした。
演奏中の入場は固く禁じられております。と言わんばかりのお固い表情で「おまちください」と言われたので「はい」と悪いことをして家に入れてもらえない子供のように入り口の前で待ちました。1分くらい。
そんな短い時間でも、頭を過るのは演奏に興味がなく歩き回ったりする息子に手をやく嫁の母親の姿です。早く入れてくれよ!と感じながら待つ1分はなぜこれほどまでに長いのでしょう。絶対同じ1分でもただぼーっと過ごす1分とは長さが違います。

1曲目の演奏が終わり「どうぞ」と門番が扉を開けてくれたので、観客のパンチらなぞには目も触れず陣取っている席へと階段を駆け上がりました。
席までつくと!なんと!!息子は嫁の母の膝の上で気持ちよさそうに寝ていました。パンチら鑑賞しとくべきでした。

高校の頃吹奏楽部だった嫁の話によると、吹奏楽団の定期演奏会には順序があるらしく、定期演奏会は2部構成でプログラムを組むようで、第一部ではクラシックなどの静かに聞く曲を、第二部では観客を巻き込み会場全体で盛り上がるような曲を、というような構成にするようです。ですから、扉の開閉という少しの雑音でも避けたい演奏会開始早々の第一部には門番がいるのだと。

演奏会の第一部は、まぁ気持ちよく聞けました。というか気持ち良すぎて俺も寝ていました。

なんで今日これを書いているのかというと、第二部にプログラムされていた吹奏楽団による「のど自慢大会」で、俺は自身の涙もろさを思い知らされた、というか、思い出したからです。

「のど自慢大会」のトップバッターは女性2人組みによる「妖怪第一体操」でした。全身白タイツに身を包んだウィスパー(幽霊)と、自作なのかは定かではありませんが猫の妖怪(名前忘れた)の着ぐるみがお世辞にも上手いとはいえないまでも、つかみとしては上出来の歌を歌いました。
息子もお子様人気の例に漏れず妖怪ウォッチが大好きなためか、この歌が始まると、それまで死んだように寝ていたはずなのに精魂を注入されたかのように復活を遂げました。妖怪ウォッチ終了後もリズムをとりながら演奏に聴き入っていたし、妖怪ウォチに興奮したのか、観客のパンチラに興奮したのか(しつこい)鼻血を出したのでたぶんこういう場は好きなのでしょう。

問題はその次に出てきた人です。
「エントリーナンバー2番、アナと雪の女王
今しがた聞いた妖怪ウォッチの歌唱力が俺に先入観を与え、いや無理だろ、シラケても知らんぞ、それが俺の第一印象でした。
吹奏楽団によるアナ雪の演奏が始まり、歌い出しに合わせて出てきたのはまたもや着ぐるみチックな人。今度はシロクマみたいな恰好で出てきました。
おいおい、この歌までもウケ狙いでいくのか?ねーわ、無理だろ。
そう思っ次の瞬間、とんでもない声量に乗ったズーンと鳩尾あたりから込み上げてくるアナ雪の世界観。あれは反則です。上手いという前情報があったにしても、それにも増して熱量の籠った歌唱力でアナ雪という世界を俺の中に再現してしまいます。しかも今回は前組の妖怪ウォッチで期待値を下げ、さらにふざけた格好で期待値を下げるというオマケつきです。しかもバックコーラスは息の合った吹奏楽団メンバーの演奏です。あれはオフサイドどころか隠し玉くらいの破壊力を持っていました。
嫁や嫁の母や息子に至っては普通に「上手いねぇ」くらいの感想でしたが、俺はその「上手いねぇ」に返す言葉を遮るほどに、その熱量に感動し、返す言葉を発することが出来ませんでした。むしろ、人前で泣く男はカッコ悪いという妙なプライドを維持することで精いっぱいでした。

たかが歌ではあるのですが、正直なところ俺はそれにもヤラれることが人より多い気がします。何年も前の話ですが、つるの剛士が歌ウマ芸能人みたいな企画で「未来予想図」を披露した時にも、俺は同じように言葉を発することが出来ないほどの込み上げるものを感じました。その時も嫁は「上手いねぇ」くらいの感想だったので、いかんいかん泣いちゃいかんと、ひどく涙を堪えた記憶があります。

歌が「上手い」と一言で言ってしまうと簡単ですが、単にメロディに沿って音程を狂わせることなく歌い上げる「上手さ」と、今回のような感情を震わせるような「上手さ」は別次元のものであると俺は思います。
まぁこれも人によって感性は様々なので、どんな歌が聞く人の感情を震わせるのかというのもまちまちなのでしょうけれど。しかし共通なのは、聞き手それぞれの持つ感受性という振動数と、歌い手の発する振動数が共鳴した時、人はその歌に魅力を感じるんだと俺は思います。そして、大多数の聞き手の振動数により近い振動数を提供できる歌い手というのが、世の中で売れる歌手という人種なのかなと思いました。

今回嫁が招待状をもらったおかげで貴重な体験が出来ました。俺は生の演奏なんかを積極的に聞きにいかない人なのですが、思い返せば人に泣く姿を見られたくないというのが積極的になれないきっかけだったようにも思います。
最初にそういう経験したのは、たしか小学生の頃に学校の行事で劇団四季の演劇を見たときだったような気がします。
演劇を見終わった後の友達の反応はあんまり面白くなかったとか、寝てたとか、そういう感想だらけのなかで、俺は一人泣きそうになっていました。
一人だけわけの分からんところで泣きそうになる自分を見られたくない、という恥ずかしさのため、そういう生の演奏や演劇を鑑賞する機会も「興味ない」と自分に言い聞かせ断っていたように思います。

でも今回気づきました。俺はそういうものを見たいし聞きたいんだと。もちろん今ここに書いているような暴露話を嫁に対してするつもりはありませんが、嫁も息子も音楽を聴くのが好きという、俺が付き添うという大義名分はあるので、感動したって込み上げる涙をプライドで押し付け、涙もろい俺を隠しながらではありますが、できる限りそいういう場には足を運びたいと思いました。