金田んち

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うちの帰りの会

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最近仕事から帰ってからの会話は「良かったことと悪かったことどっちから聞きたい?」という会話がメインだ。

「ただいまぁ」

と俺が玄関を開けるよりも前に、家の中から

「おかぁえりぃ!!」

と高い声を張り上げるのが息子。
家は廊下がほとんどないミニマムな造りなので、玄関を開けると、遊んでくれるやつが帰ってきた!とリビングのドアからウキウキ笑顔を出す息子とのご対面。

「ただいま、ちょっと待っとけよ、かあちゃん寒くないようにドア閉めとってね。」

息子の頭をポンポンと撫で、着替えた後に風呂掃除を済ませリビングに入ると、テレビを見ながらくつろぐ嫁と、嫁に抱かれ安心して眠る娘とご対面。今月から娘は夜に離乳食を食べ始めたので、この時間はよく眠るようになった。

「おかえり」
「ただいま」

嫁との挨拶を終えると膝元に駆け寄り上目づかいで両手を広げる息子。

「びよーん」

息子の「抱っこ」のサインに応え抱き抱え、わきを擽り床に下ろすと

「えへへぇ、もっかぁい」

との息子のアンコールは嫁に遮られ

「とうちゃん先にごはんよ」

そのまま遊び続けたいのはやまやまだが、食器の片づけもあるため俺はごはんの準備。嫁と揃いのフクロウが描かれた茶碗にごはんを盛り、冷めてはいるものの夕飯時にはちょうど良いおかずの待つテーブルに向かう。俺が椅子に座ると息子が歩み寄り、俺に背をむけバンザイのポーズ。

「ちゃん、ごはんくうか!」

息子は人が食べているものが欲しいときは「くうか!」と表現するのだ。食うんか、と息子を膝に載せ、何食うか?と聞くと決まって「ニンジン!」。食卓にニンジンがなくても希望的観測を込めてなのか、まずはニンジン。なければキュウリ。それもなければタマネギ。とにかく野菜が大好きな息子に、冷めているためやけどの心配のないおかずを与えつつ、俺もご飯を食べ始めたところで最近恒例の嫁との会話が始まる。


「良かったことと悪かったこと、どっちからが良い?」

6月末に娘を出産した嫁の産休期間が終わり、9月頃から育児休暇に移行したため、息子はそれまで通っていた保育園に行けなくなった。それから俺が仕事に行っている時間、嫁は一人で子供2人の面倒をみている。
面倒をみるといってもご飯を与えてオムツを替えればいいという単純なものではない。来年4月から仕事復帰する際には息子も娘も保育園に通いだす予定なので、保育園での生活リズムに合わせお昼寝を習慣化させたり、ストレス軽減や運動不足の解消のため外に遊びに連れて行ったりもしなければいけない。
ホントに毎日肉体的にも精神的にも疲弊してるんだろうけど、子供だけでなく俺のことまで気にかけてくれる嫁が心の底から大好きで大切です。

近頃息子はイヤイヤ期なのか反抗期なのか分からないが、特に嫁の言うことを素直に聞かないことが多くなったらしく、この恒例行事は「ごめんなさい」をなかなか言えない息子に反省させるための、また、良いことは思い切り褒めたい俺のための一日子供と色んなことを一緒に過ごした嫁発の小学校の帰りの会みたいなものである。
または、たまに同じように子育て中の母親たちと会話した日、嫁は「今日は人間と喋った」と晴れやかな顔で報告してくれるので、言葉のキャッチボールが下手くそな子供との会話で溜まったストレスを、俺との会話によって発散する目的もあるのかもしれない。

どっちからが良い?と聞かれると、俺は決まって「悪かったこと」と答える。子どもを育てていればしつけで叱ることは必須なわけだが、好んで叱りたくはない。出来ることなら「まぁいいよ」とか流してへらへら笑って過ごしたいのだが、何よりそれでは子供にとって良くないだろう。悪いことは叱られる、悪いと思えば謝る、これを教えるのは親の役割だと俺は思っている。嫌な余韻より好きの余韻を残したいから、弁当も大好きな嫁の卵焼きを最後に食べる。
しかし、息子はまだ物事の善し悪しの判断を自分で出来ない年齢なので、親の善悪の判断がその全てになることに“うーん”と感じることはあるが、それはこの先息子自身が「自分の方が正しい」とか「なんでダメなんだ」という疑問が生じぶつかった時に考えるしかない。

「悪いこと」の内容は、公園の滑り台で小さな子の順番を抜き謝ることが出来なかったとか、あと1回滑ったら帰るという約束を守れなかったとか、注意を聞かず靴を脱がずに家に上がったとかいうもので、主に順番や約束事みたいなことが「悪いこと」に挙げられる。
「良かったこと」の内容は「悪いこと」をした後、きちんと謝ることが出来たとか、小さな子に順番を譲れたとか、きちんと挨拶が出来たことなんかが挙げられる。

我が家の帰りの会に挙がった「悪いこと」は一度嫁から注意などをされているものなので、息子自身その話題が出ると後ろめたさからか、若干俯き加減になったり、声を張って何か喋り出したり、とびっきりの笑顔を向けたりして誤魔化そうとするのだが、もちろん俺にも嫁にも効かない。内容を聞いた俺は、謝るべきものは謝らせようと、約束事は次からは守れるように指切りをさせようとするのだが、まぁ一度言っただけで素直には聞いてくれない。
そこで引っ叩くとか、威圧するように大声で叱るのも一つの方法なんだろうが、俺はやらない。只管目を合わせ、真顔で言葉をかける。何度も何度も。叱られる場面を避ける方法が息子に簡単に根付くため、俺の根負けは許されない。正直辛い。これが「悪かったこと」への俺の対処である。

「良かったこと」に挙がったことについては、こっからが楽しみなのであるが、思いっっっっきり褒める。それも「おぉーーー!!そんなん出来たんか!!!すっげーーー!!!!」みたいにかなり大袈裟な驚愕を枕に、息子を抱きかかえ抱きしめる。たぶん傍から見たら何をそんな大袈裟にと呆れられそうなものだが、色々試してみても息子はこの方法が一番喜ぶのだ。普段あまり大きな感情表現をしないので、初めのうちは恥ずかしかったが、慣れた今となっては普通に「よしよし」みたいに褒めるのが物足りない。
そんな褒め方気持ちわりぃから辞めろよ!と息子から言われ出すのは時間の問題なのは分かっているが、そん時はショックだろうなぁ。

我が家の帰りの会、おしまい。

ちょっとまだ文章を書きたいのであとは関係ない蛇足です。

俺が休みの日、嫁は時々整骨院に行くのですが、どうもこれが体の調子だけでなく精神面の調子も整えてくれている模様です。直接「ストレス発散になる」とか聞いたわけではないですが、整骨院から帰ってきた時の表情が俺にそう感じさせます。

平日は毎日嫁一人で子育てをやってるので、その間のストレスのはけ口はなくたまる一方だということは想像もできますし、嫁自身も言っていました。

「あたし専業主婦向いてない。早く4月になって欲しい。人間と喋りたい」と。

なので俺が休みの日、嫁の要望があれば俺が子供の面倒を見ながら嫁に出かけてもらっているのですが、完全一日フリーで遊んできても良いよみたいな提案をしても、それはそれで俺だけに負担をかけることが申し訳なく逆にストレスになるんだとも言ってました。

ぜんぜん構わないとは言うんですけどね。そういう気を遣わずにはいられない性分なんだろうと思います。だからこそなのでしょうが、疲れるから友達は少なくていいと言ってます。そりゃそうでしょうね、たくさんの人に気遣ってたら身が持ちません。

それで整骨院に行った日はかなり歩く姿勢が良くなります。いつも猫背なので自信なさげというか、ちょっとババ臭い歩き方で、買い物カートがシルバーカーみたいに見えてしまいます。んで整骨院から帰ってくると不思議なもので、背筋を伸ばしておかないと普段の猫背は辛いと言います。それで買い物に行って横を歩くと、いつもより若く綺麗に見えるんですね、嫁が。しかもおっぱいもデカく見える。たぶんいつもの3割増しくらいで。

俺の抱く整骨院のイメージとしては
「じゃあ今から始めます、うつぶせになってください」
「はっ、はい」
丸太みたいな腕の男が馬乗りになり、俺の逃げ場を封じて肩を掴む
「力を抜いてくださいね、せーの!」
「んなぁっ!いていていいていちえいていちってーー!!」
「ほらほら暴れないで」
「んなこと言ったっってーーーいてー!」
「お客さん、固いですよ」
「分かってますって!だからいてーーよ」
「凝り固まってるのはあなたの先入観ですよ?」
「はっ!?」
「あなたは本当は『はんぺん』なんです、すごく柔らかいんですよ~」
「イタイ――!俺はにんげんだーー!!」
みたいな洗脳と拷問を20分ばかり続けられ、満身創痍で車に向かいドアに手を伸ばすもバタ。というものだったんですけど違うんでしょうね、きっと、確実に。

嫁の表情から想像するに気持ち良いんだろうな。それに、やっぱ姿勢って大事なんだなぁと思いましたね。なんか表情も明るくなりますし。

はい、蛇足の整骨院すげーという話でした、長くて申し訳ない。

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