金田んち

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俺は女子力男子を読んでムカついた

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原田さんの「女子力男子」を一通り読んだのですが、昨日しまっちさんとTwitterでやりとりしてる時に
ゴールデンボウラー金田松樹 on Twitter: "@is2634 そうなると東京からの視点の方がみんな知らないんでしょうね。たぶんそれを狙ったのが今読んでる女子力男子の気がしないでもないですが。"
という呟きをしました。
漠然とした感覚の呟きではあったのですが、俺の中では生活の中での色々な選択肢が少ない人=マイルドヤンキー、選択肢の多い人=女子力男子みたいな構図が出来上がりました。
言い換えると田舎者=マイルドヤンキー、都会人=女子力男子です。

それで、女子力男子を読み進めていると、筆者の原田さん自身も同じように感じ取られたようで

女子力男子の調査をするなかで、気づいたことがあります。女子力男子は、どうやらあくまで傾向として地方より都市、低学歴より高学歴・高階層に多いようなのです。

と書いてありました。俺はこの女子力男子の執筆の発端が、マイルドヤンキーの逆側である都会に住む若者にフォーカスしたところからスタートしたのだと思っていたのですが、どうやら調査をするなかでその傾向を発見されたようです。

いやしかしなんかムカつきますね。俺が地方在住の低学歴低階層に属することは間違いないんですが、そこまでハッキリと書かれると。女子力男子とかいうヘンテコなネーミング考えなくて良いからそこらの別のネーミングを考えて欲しいですよ。

さて、ムカついたからと言って本の内容に全く触れず、怒りの感情を綴るだけのエントリを書くのは流石にまずいだろと思うので、個人的な感情はおいておくとして、内容について少し触れておきたいと思います。

序論 「男子は女子より元気がない」説は本当か
1章 違和感だらけ?女子力男子の実態
2章 「若者の消費離れ」読み解くカギは女子力男子にあり
3章 女子力男子はなぜ急増したのか
4章リアル女子力男子81人大解剖
6章 女子力男子に響く新商品・サービスのアイデアの芽
特別収録 リアルな思考丸わかり!女子力男子座談会

若者研究をしている40代?くらいの原田さんの視点に基づくものであるため、それ「女子力」なのか?と疑念を抱く特徴がいくつも挙げられていました。

たとえば眉毛を整えるとか、体つきが筋骨粒々ではないとか、女性もののスキニージーンズを履くとか、ダイエットはジムで体を動かすのではなくカロリー計算でのカロリーコントロールだとか。

たぶん俺と同じくらいの世代の人がこの本を読むと、そんな当たり前のことを「女子力」とかいうもんで括るなって感想を抱くかもしれません。
ただそれだけ、若者を研究されている人でさえも、世代が違えばよく分からない感覚として捉えられる消費や生活の様式なんだろうなと感じました。

俺を例にあげると、太りにくい体質なので(昔よりは少しは太りましたが)女性もののジーンズじゃないと選択肢が極端に少ないため、やむを得ずそれを履くし、身嗜みとしてボーボーの眉毛はどうなんだと思うから整えるみたいな当たり前の感覚だったり消去法で残った選択肢です。北斗の拳とかドラゴンボールみたいな筋骨粒々の肉体には憧れるけどそもそも線が細いから無理。

で、この本の中で俺が面白いなぁと感じたのは第3章の女子力男子はなぜ急増したのか ってとこだったのでその部分を少しばかり触れておきます。

その1 戦後の男女の意識の変化

①高度成長期に定着した、性別分業と恋愛結婚
②女性の社会進出と男性の雇用不安定化

その2 女子力男子が現れた理由

①経済的要因による男女の役割変化
②「男らしく」という社会的抑圧の減少
ソーシャルメディアが変えた同世代間の関係
④「ママっこ男子」に見る母親と息子との関係

その3 女子力男子はいつ増えた?

①10年前と5年前に転換点あり
②「細マッチョ」CMのインパク

こういった視点から「女子力男子」の発祥を探っているわけですが、俺が面白いなと思ったのはその1の部分に書かれていた主要産業の変化から探っている点です。
ここに注視すると、原田さんが本書の中でかなり大きく捉えている体型の変化についてはかなり頷けるんじゃないかと思いました。

農林水産業や製造業など、力が要った仕事は割合そのものが減っていますし、さらには技術革新によって機械化が進み、鍛えれば筋骨粒々になれる男でもその必要性はなくなったといえます。
それでもなお筋骨粒々という男らしさを求めるとすれば、そこにあるのは他人からの視点として筋骨粒々というシルエットが美しく見えるのか、「美」としてその体型に需要があるのかということになってきます。
しかし筋骨粒々のレスラーみたいな体型って、「強さ」という要素は含んでいますが「肉体美」としての要素は欠けています。ダビデ像を見ても分かるように、体に「美」を求めるのならそういう体型を目指すべきです。さらにその自然な流れに乗っかるように「細マッチョCM」というものも流れインパクトをあたえているようです。

あと、競争から協調重視な世の中になったとか、色んな価値観を受け入れる世の中になったとか、あぁと感じる分析が多々ありました。

あんまり書くと内容全部に言及したくなるのでひとまずここでやめにします。読書感想文ってどこまで何を書けばいいのか分からんから難しいです。

こっからは読まない方がいいかもです。ムカついたって内容を書くだけなので。
全体を通して感じたのは、やっぱり「女子力」として括るには違うんじゃないのかと感じる要素は多かったです。
そこで考えたのは、男女の感覚差よりも大きいんじゃないかと感じる世代間格差ってやばいんじゃないかってことです。
かつてコロンブスが新大陸に降り立った時、住民たちは確実にそこに存在するコロンブスの乗ってきた船が見えなかったらしいです。
当時の感覚としては、そんな馬鹿でかいものが海に浮かんでいるわけがないという先入観があったので、目に見えているはずの船も見えかったそうなんです。

ダサピンク問題やマイルドヤンキーという田舎の人の生活様式を書いた本が流行ったこと、さらに今の若者を調査したはいいけどそれ「女子力」とは言わないんじゃないかみたいに感じるこの違和感。
そこからどうしても感じとってしまう世代が異なるからという理由で、目の前にあるのに見えていない互いの認識している感覚のズレ。

今回この本を読んで俺自身かなり原田さんの定義する「女子力」にあてはまる部分があったんですけどなんかそのネーミングはイヤだ。
そんな当然のこと「女子力」とか言うおっさん達の行動様式と俺の感覚とのズレを「ガラパゴスオッサン」とか言われたらイヤだろ?
確かに昨日呟いた田舎とは違う選択肢の多さみたいなものは女子力男子を読んで発見でしました。
しかし、本の中のインタビューでは調査協力した女子力男子はイヤじゃないって言ってるんですけど、凝り固まったオッさんが定義する「男」について俺はむかつきました。体型について定義するとか特にな。好きでこうなったわけじゃないですから。
そして、その「男」から外れた若者の特徴を見境なしに「女子力男子」の枠で括ってしまう。
今までそういう特徴が見えてなかった人に特徴を見せるのは、マーケティングにおいて大切なことだと思いますが、考えてほしいのはネーミングです。
注目を集めるためのインパクトあるネーミングにすりぁ良いってもんじゃありません。

原田さんが提唱する女子力男子にカスるような若者は大量にいるでしょう。俺もそのうちの1人だと思います。親世代からはよく言われてた貧弱で女々しいみたいなレッテル貼りもやっと薄れてきたってのに、また再定義してくれて流行ったらどうするんだ。いい迷惑です、その名前。