ルイスのチョコレート
今回もなんとか書き終えました。小説らしきものです。
【第4回】短編小説の集いのお知らせと募集要項 - 短編小説の集い「のべらっくす」
10時すぎまで残業をしていたところ、同期の剛からの誘いで居酒屋に行くことになった。
最近の俺はプライベートで甚大なダメージを負い、ヤケクソ気味に仕事に打ち込んでいた。
居酒屋は職場近くの馴染みの小料理屋。席もお馴染みの端から一つ離れたカウンター席。一番端を空けるのは、その椅子に二人分のバッグを置くためだ。
「おつかれ」
いつもの如く「いつもの」と店主に伝えれば自動的に出される冷や奴と「とりあえず」の生ビールで乾杯する。
「お前流石にありゃないわ」
剛からの言葉に溜息をつきつつ、ムッとした視線で俺は答える。
「だから言ったじゃん。俺」
「天から授かった二物も、武器にならねぇことがあるんだな」
ニヤける剛の顔をぶん殴りたくなった。
俺は先週のバレンタイン、ガツンと人生初の大失態を犯した。
何もその原因が向かいの席でニヤける剛にあったわけではないが、ぶつけようのない敗北感が剛への八つ当たりとなっていた。
俺の仕事は、この付近ではわりとデカい住宅メーカーの営業で、ここ何年かは常にトップの成績だ。
自分で言うのも小っ恥ずかしいが、見た目もなかなかイケてて、社内の女性陣からもお客さんからも結構な評価をいただいてるみたいだ。
みたいだ、と言うのは剛経由の情報だからだ。
剛の言う「二物」とは、俺の営業成績と容姿についてのものらしい。
事の発端はバレンタインの一週間前、残業を放り出した俺と剛は、職場近くに新しくオープンした居酒屋で飲んでいた。
というか、もう少し仕事して帰宅しようとしていたところに、例に漏れず剛が声をかけてきたのだ。
「裕、あれ?お前またその目玉みたいなの調べてんの?」
「あぁ。お客さんとの話で結構使うから。」
「ふーん。なんつったっけ、それ…マリ…メッコリ、だっけ?」
俺は接客の際の話題になればと、ネットでインテリア関連の個人ブログを読み漁っていて、この時読んでいたのは「北欧」好みな人のブログ。ちなみに剛の言う「マリメッコリ」とは「マリメッコ」というわりと有名なブランドだ。
新築を機にそれまでのインテリアを一新するお客さんも多く、特に奥様方に「北欧」インテリアの話を振ると目を輝かせることがある。
相手の反応から「北欧」の匂いを感じ取った場合に限られるが、その話題をキッカケに契約まで持っていくのが俺の王道パターンの一つだ。
「裕、そんなの帰ってやることにしてさ、飲みに行こうぜ♪」
剛も俺と同じ営業なのだが、こいつはノリの良さに加え生粋の人たらしという才能だけで成績を伸ばしていて、最近は俺に次ぐ営業成績だ。
「俺はお前と違って情報収集がモロに成果に響くんだぞ」
「情報?俺にも情報はあるぞ。とりあえず、そこに新しく出来た居酒屋で話そうぜ!」
強烈な胡散臭さを纏った誘い文句ではあったが、なぜかこいつの誘いは断り辛い。それに剛と話しているとリラックス出来る。それが生粋の人たらしの正体なのかもしれない。
この日は常連の店でも小さな個人店舗でもない、全国に新店舗を拡大中のチェーン店なので「いつもの」が通用しない。
かわりにチーズの3種盛りと、剛のビールと俺のハイボールを注文して乾杯した。
「で、情報って?」
俺は心の中であまり期待もしてないけど、と前置きして剛に尋ねた。
「まぁまぁ、焦んなって」
そう言って得意げに咳払いした剛は、ここだけの話だと言いたげに小声で話し始めた。
「実は来週…天使との合コン決まりましたっ!」
おもちゃを買ってもらった子供のように目を輝かせて話す剛に俺は相槌をうつ。
「ふーん。で?つーか天使ってなに?」
お前なぁ、と半分呆れたような物言いで俺に説明する剛。
「合コン、天使、とくればナースに決まってんだろ。もちろん、お前も行くよな?」
「え?俺?俺はちょっと…」
「なんだよ、またかよ。お前普段から女の影が見えねぇし、そういう飲み事にも参加しねぇし。女子たちの間で噂になってるけど、もしかしてお前」
剛は外側に向けた掌を口の横に添え、眉間に皺を寄せて「カマ」のポーズをとっている。どうやら社内では俺がカマじゃないかとの噂があるらしい。剛はその容疑の真偽を確かめようとしているのだ。
「ちげーよ。」
俺の一言で「カマ」の容疑がはれたのかは分からないが、いかにもつまらなそうな顔をした剛がふんぞり返った。
「お前なぁ。そんな聖人君子みたいな人生で何が楽しいんだよ。」
顔に吹きかけてやろうかと思ったハイボールをゴクリと飲みこみ、俺は目を見開いて剛に向き合った。
「余計なお世話だよ。苦手なもんくらいあんだろ。誰だって」
言ってしまった後でヤベっと思ったが、よく事情が分かっていない剛の目は俺のデコあたりをうろついている。
場の空気と頭にのぼりかけていた血気をリセットしようと、俺はトイレと言って席を立った。
「すいません」
「ほえ?」
急に話しかけられたのが女性だったことで、俺は焦ってとぼけた返事をしてしまった。
「あの、良かったらご一緒できませんか?こっちも二人で飲んでるところなんですけど」
こんな時は何と返事をしたらいいんだ、つーかこの女性はなんで俺に話しかけてるんだ。もしかして何かの詐欺か。
「あ…あの…あの」
「お誘い頂いたのは嬉しいんですが、今二人で大事な話してまして。すみません。」
剛の言葉を聞いた女性は、そうですか、と残念そうに去っていった。
「トイレに行ってこい、話はそれからだ」
剛にポンと背中を押されトイレに行き、席に戻った俺は落ち着きを取り戻していた。
「そういうこと、だったんだな」
ニヤつく剛の顔を見て、バレたかと俺は確信した。
「実は俺、どういうわけか同年代の女性と話すのが苦手なんだよ」
俺はこの際だから、自分の悩みを話してしまおうと覚悟した。
「お客さんとか社内の子とは話せてるのに、さっきの反応見るとそんな感じだな」
「うん。その人たちとも仕事だから話せてるんだと思う。自分でもその境すらわかんないんだけど。」
「同じ人との会話でも、仕事ならよくてプライベートじゃダメ。よくわかんねぇけどエスカルゴなら良くてカタツムリじゃダメみたいなもんか」
剛の喩えがよく分からなかったが、本人の中では納得した様子だったので「そんなとこだ」と答えておいた。
「え?お前まさか今まで付き合ったこと…」
不意に思いついたようなはっとした表情で剛から尋ねられた。
「ない…つーか告白もない」
あちゃーと言いたげに剛は天を仰ぎ、いくらかの沈黙の後、じゃあと俺の顔を覗き込む。
「今好きな娘は」
言わなきゃダメなのかと思ったが、ついさっき全部話すと決意したばかりだ。酔ったわけでなく、恥ずかしさで顔が火照るのをありありと感じた。
「近藤さん」
あまりの恥ずかしさと俯いて発した言葉だったので、数十センチ先の剛まで届かなかったのかもしれない。
訪れた沈黙を確認するために顔をあげると、真顔で考え込む剛の表情が確認できた。
表情から察するに、どうやら俺の声は剛に届いたらしい。
「近藤さんってウチの近藤さんだよな。よし!逆チョコ作成でいけ‼︎」
俺は突拍子もない剛の発言をうまく咀嚼出来ずポカンと口があき、何ともトボけた顔だったようだ。
「おい、口!」
剛の言葉で我に帰り、慌てて口を閉じた。
「だから、今度のバレンタインにチョコ渡すんだよ。今は逆チョコも普通だろ?お前が、近藤さんに、チョコを、わ・た・す・の」
子どもに何かを教えるような丁寧な説明で俺はようやく剛の発案を理解した。
「いやいやいやいや、おま、さっきの見てただろ。チョコ渡すっつったって俺は女の子と喋れないんだって」
「お客さんと喋るみたいに喋ったら良いんだよ。今日の服似合ってますねとか、香水良い香りですねとか」
慌てて首を振る俺を諭すような剛。
「服装…香り……それくらいなら、なんとかなるかな」
自信はないが、俺だってこのままずっと女の子が苦手でいたいわけではない。実際これが苦手克服の良いキッカケになるかもしれない、そう思った。
「ほら、お前がお客さんによく勧めてるルイスのチョコだっけ?あれプレゼントすりゃ喜ぶんじゃねぇか?」
どうやら剛は固有名詞をいい加減に覚えるキライがあるらしい。ルイスじゃなくてロイズ、と訂正したかったが、今はどちらでも構わないから放っておいた。
しかしルイスのチョコって…カールルイスのスパイクをモチーフにしてそうで、食ったら歯茎を痛めそうだ。
それに、血と汗と努力の味がしそうで、あまり美味そうではない。
そういうわけで、一週間にわたる壮絶なイメージトレーニングを積んだ俺は、ロイズのチョコをバレンタイン用に準備し、その日の就業を待った。
うまくいったらそのままデートに行けるだろ、という剛の提案を、それもそうかと素直に聞き入れたからだ。
就業のチャイムが鳴り、近藤さんの元に向う俺の心臓は胸を突き破りそうなほどデカく鼓動していた。
「あ、あ、あの」
近藤さんに声をかけたは良いが、脚がガクガク震えて今にも転けてしまいそうで頭が回らない。
「どうしました?」
まだ仕事中なのか、睨みつけていたカーテンカタログから離した視線を俺に向ける。眉間には微かにシワが残っているが、転んでしまわないよう隣の空いた席に腰掛ける俺の手元を見て、近藤さんの表情がパッと明るくなった。
「それ、ロイズのチョコですよね?もしか…」
極度の緊張のせいか、興奮気味の彼女の声がよく聞き取れない。とにかく彼女と話そうと、俺は剛の言葉を思い出していた。服装、香り。
「あ、あの…ストッキング」
俯く俺の視線で確認出来たのは近藤さんの足元だけ。つまり靴とストッキングだけだった。
「あ、これ可愛いでしょ!」
無邪気にストッキングを自慢する近藤さんは可愛かったんだろうが、俺はそれどころじゃない。次に続く言葉を必死に探していた。香りだ。
「その、に……に、臭いますね!」
やっと出てきた。ホッとした瞬間ガツン!!ボスン!
鈍い音と頭痛が一度に俺を襲い、俯いていた視線は瞬時に床に近づいた。
「最っ!低!!」
近藤さんの声で我に返り視線を上げると、プンプンと足音をたてる近藤さんが遠のいた。
俺は本心でもなんでもない混乱から発してしまった自分の言葉を思い返し、ガックリと項垂れて机上に遺されたロイズのチョコを手に取った。
近藤さんの机には、辞書のように分厚いカタログが投げ捨てられていた。
「祐…大丈夫か?」
一部始終を観察してたのだろう、剛が声をかけてきた。
「大丈夫じゃない。口も切った…一人にしてくれ」
心配を寄せる剛を遺し、俺は職場をあとにした。
チョコレートは失恋に効果的らしい。人生初の告白に人生初の失恋を経験した俺は、帰り道に近藤さんに渡しそびれたロイズのチョコを口にした。
それは、血と涙と努力の味だった。