金田んち

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「書くこと」も「読むこと」も自由である

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先週更新がんばろうって思って4日くらい連続で更新したら読者が減りました。ブログの読者増やすためには毎日更新頑張りましょう!っていうふうに書かれた記事を読んだことがあるんですど、書くからこそ読者が減るっていう俺みたいな人もいるんだなって思った。

俺は普通に生活してても「初めて会ったときはこんな人と思わなかった」ってわりと良く言われるんで、読者登録した人も読むにつれて、たぶんそんな感想もつんだろうなと思う。良くも悪くも第一印象と仲良くなってからの印象は違うらしいので。

ただネットとリアルで違うのは、リアルだとどうしても崩すことの出来ない人間関係ってのがあるんで、「金田の話マジおもんねぇバカ死ね」とか思われたにしても、付き合いでろくでもない話でも聞かなきゃいけない時があると思う。けど、ネットだと俺の書いた文章を読もうが読まなかろうが俺の希望や思想に関係なく完全に読む側の自由であるって違いがある。

加えて、リアルだと一度聞き始めた雑談を遮っておうちに帰るとかなかなか出来ないけど、ネットだと自分の都合に合わせて何時読むのかもいつ読むのをやめるのかも自由に決めていい。いつ読むの!?「ただいまぁ!」只今!!

逆にこうやって書く側だって、ネットならリアルよりも自由の幅が与えられてると考えていいと俺は思う。

たとえば隣で「このカレーパンうめぇ」って言ってる人に「カレーとパンの組み合わせでしかも油でギトギトに揚げたその食べ物ありえねぇ。カレーといったらライスっていう至高の組み合わせにたどり着いてないお前マジ子ども。ホントかわいそうだわ。」とか言ったらぶん殴られると思うんですけど、こうやって書く分には自由だって思う。
つーか年齢とともに油っこいものを受け付けなくなってきてる俺の方がかわいそうなのかな、この場合は。

それに、読んだ人は俺が読むか読まないかに関係なく、コメントで反発したり指摘したりするのは自由だし、もしくはくだらないとか面白くないっていう判断のもとに読まないっていう選択肢をとるのも読む人の自由。

ネットにはリアルみたいな避けられない人間関係の維持ってものは基本的にはないんだから、仕方なく「読まなきゃいけない」ことはない。俺の希望としては、せっかくこまで読んだんなら最後まで読め。

なのでネットって、書き手にとっても読み手にとっても縛られない自由の範囲が現実の生活よりも幅が広いものだと俺は思う。

けど、ブログのPV数あげるためには交流を大切にしましょうみたいなことを書いてある記事をわりと読むことがある。書かれたコメントは必ず返信したり、知った人が書いた記事は拡散し合ったりしてブロガー同士で交流深めましょう!みたいなこと。ともだちひゃくにんできるかな♪みたいな感じのやつ。

ネットでブログとか書いてると、特に読者が全くいない時とか反応が全くない時ってのは寂しくなる。こんなに力入れて書いたのに誰も読んでくれないのか、誰も反応してくれないのか、他人は酷いな薄情だって。
もし誰かしらと交流があれば、少なくとも書いたものがあの人には読まれるっていう安心感ってものが出てくる。

しかしそこで俺は考えた。ネットで交流を深めるってどういうことかについて。

他人との交流って、個々の活動の接点をつくりあげるということだと思う。他人との接点をつくるっていうのは、異なる価値観や世界観のすり合わせをおこなうことでもある。つまり、誰かと交流を深める時には、そこにはリアルと同じように人間関係が発生して、相互で踏み入れちゃいけない危険区域が形成される。

たくさんの人と交流するとどうなるかっていうと、書き手読み手が相互に自由であったはずのネットでの活動に、あの人にこの話題はタブーだった、この人にはこの言葉使っちゃいけないんだったっていうふうに、多くの危険区域が乱立して「俺はこう思う」を書ける範囲っていうのが凄い制限される。

PVあげるためにたくさんの人と交流を深めるっていうのは、安心感と引き換えに「書きたいこと」に対する不自由を受け入れることにもなる。

なにが楽しいんだろうって思う。言いたいことも言えないそんな世の中じゃポイズンだと思う。そんなに数を追求するのが楽しいんなら良いかもだけど、せっかく好きなこと書ける場が提供されてるのに、それを自ら制限かけてるんじゃないかなって。

まぁ俺のブログ読んでる人はそんな人あんまいなさそうだから安心したんですけどね。なにせ書くたびに読者減るっていうのを目の当たりにしたし、だからこそそこには「読まなきゃいけない」とか「交流目当て」とかじゃなく、自らの選択で読む・読まないを判断してる人たちが読んでるんだろうと感じたので。

さらにいうと、読んでる人が自由ってことは、ここには俺が書く自由もあるんだなぁという、まぁ当たり前っちゃ当たり前のことを感じました。自由に書くっていっても日常生活のなかで考えたこととか思ったことっていう、生活の断片みたいなことばっかりで「誰かの為になる」みたいなものは書けないです。俺が書いてる文章なんて、自分で勝手に面白がってるだけの雑音なんで、雑音は耳を塞がれてしかるべきです。
まぁ人によっちゃあ都市の喧噪からでも人の活動に思いを馳せる人もいるでしょうから、そんな人は読んでもらえたら嬉しいです。

そういえば雑音で思い出したんですけど、なんか近頃のセミの鳴き声の順番って狂ってると思う。本来なら初夏にミンミンゼミが鳴き始め、夏休みの騒がしさとともにアブラゼミが鳴きクマゼミが鳴き、夏の終わりを告げるようにツクツクボウシが鳴き始めるっていうのが美しい流れだと思ってるんですけど、最近はクマゼミが夏の間中ずーっと鳴いてやがる。あんだけ長期間鳴かれると季節の移り変わりみたいなものを感じることもなく単にとうっとうしいだけで、マジ殺すぞって殺意わく。