金田んち

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だいたい一方通行

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「ちょっとあなた、近頃は暇を持て余してるのかしりませんけれど、ちょっと生活が怠惰すぎやしませんか。」
「はい?誰なんすか、あんた。そんなの俺の勝手じゃないですか。」

名は直哉。35歳独身。中学高校大学と学業成績優秀。さらに小学校から続けていた野球でも甲子園出場経験ありと、文武両道とはこの男の為に用意された言葉のようなものである。
そんな学生時代を過ごした直哉は、エスカレーター式とでも言うように一流企業に就職し、さらにはその経験を活かし独立。

35まで超多忙な日々を送った甲斐あって、直哉の預金通帳には、直哉の生活スタイルを考慮すれば、一生働く必要のない残高が記されている。

というのも直哉、就職してからの13年間、仕事中心の生活を送っていたため、学生時代打ち込んだ野球はやめ、他に趣味と呼べるような類のものを始めようともしなかった。野菜生活ならぬ仕事生活である。生活の為に仕事をするのではなく、仕事の為に生活をする。

毎日多忙であったため家に帰ることも少なく、ただ荷物を収納し寝るだけのスペースがあれば足りると、住処にも拘りがない。年収からはとても想像できないような、通勤面だけは快適なオンボロワンルームで暮らしている。

趣味もない、家にも金を使わない。対して収入だけは高額なので、必然的に貯金ばかりが増えていき、ふと通帳を確認した先月末、もう働く必要ないじゃん、ということで直哉は仕事をやめた。

「まぁわたしは構わないんですがね。あなたがいくら怠惰だって。そのように怠惰なお陰で、わたしはここに居れるんですからね。その怠惰には感謝しなくちゃいけませんね。」
「つーか誰なんすか。勝手に俺んとこに居すわって。出てってもらえませんか?」

直哉は直哉のもとに勝手に居座る生物に対し、迷惑だから出ていけとシッシと追い払う仕草を向ける。

「何をおっしゃるんです。わたしは出て行こうにも出ていけやしません。あなたがわたしを招いたんじゃありませんか。昨日だってわたしのことを愛でるよう擦ってくださった。」
「は?愛でてないし、第一今始めてあんたと話してるんですけど。何言ってるんすか?」

直哉は自分に話しかけている生物をこれまでに視認した覚えはなかった。目の前の生物が何を言っているのか、果たして理解に苦しんだ。

「ははは。まぁ無理もありません。わたし、普段あなたにあまり意識されていないようですからね。でも、今はもうわたしを意識してしまったんです、あなた。」
「ちょっと全然分からないんですけど。意識?まぁとにかく帰ってください。ちょっと腹減ったんで、俺ラーメン食いに出かけますから。」

目の前の生物が言ってることは理解できないが、直哉は空いた腹を満たすことにした。ついでに、わけのわからない生物から逃れようとも考えて近所のラーメン屋に出かけることにした。

「わたしのことは心配なさらないでください。わたしはあなたと一緒ですから。さっきも言ったように、わたしに帰る場所なんてないんです。いや、あなたに帰ると言う方が正しいでしょうか」
「はい?もういいです。全然分からないので。とにかく出ますよ。」

生物の言っていることを直哉は1%も理解できないが、とにかく家から出してしまえば済むだろう。そう考え外出を急いだ。生物の言っていることは意味不明ではあるが、どうも直哉に危害を加えるつもりも、何をするつもりでもないらしいことは感じ取られた。

とにかく直哉は生物に「気付いた」ということらしいが、どうにも奇妙でやっぱりわけが分からないので、直哉は生物を傍に置いておきたくはなかったのだ。

ラーメン屋までは徒歩5分という距離。しかしその道のりは入り組んでいるため、直哉は学生時代鍛えた脚力を駆使して生物をまいてやろうと画策した。

玄関から道路に出て、軽く息を吸溜め、力強く一歩を踏み出す。

ふおっとっとっと。

文武両道を極めた直哉の四肢は、13年続けた仕事生活によって脆弱なものとなっており、咄嗟のダッシュで直哉の足はもつれ、危うく豪快に転ぶところだった。

「おっと、無理はいけませんよ。急に運動なんかしちゃうと体によくありません。それにわたし、運動なんて大嫌いなんです。いえね、あなたの体を心配しているのですよ。」
「余計なお世話だよ!」

直哉は駆けることも出来なくなった自身の身体能力の恥ずかしさ、また何故か心配しているようなそぶりの生物にイラつき舌うちを返す。

「まぁまぁ、せっかく美味しいものを食べに行くんでしょう。糖と脂肪は美味しいですからね。わたし、大好きですよ。」
「ったく、何なんだよさっきから。ホントどっか行けよ。調子狂うなぁ。」

直哉は生物に毒づきながら、仕方なくラーメン屋まで歩くことにした。

「歩くんですか?歩かなくても良いでしょう。タクシー呼んじゃいましょうよ。人生は楽しくなきゃいけません。つまり「楽」をしなきゃ。」
「はぁ?徒歩5分の距離でタクシーなんか使うかよ。てか、ど・っか・い・け!」

だからどこにも行けないんだ、という生物は直哉に腹立たしさしか与えない。直哉はこの際腹立たしさもラーメンと一緒に流し込むべく、ラーメン屋に向かう。

「いらっしゃ~い」

いかにも昭和のラーメン屋というような赤い暖簾をくぐると、予想を裏切ることのない禿親父が新聞を読みながら間延びした「いらっしゃい」を掛けてきた。

店内の壁の一面には天井の高さまでの本棚に漫画がびっしりと並べられ、どれもラーメンの油が染み込んでいるのか、どの本のページも茶ばんでいる。

直哉は半チャンセット固麺を注文し、本棚から「はじめの一歩43巻」を持って席に着く。「何読んでるんですか?」とぐにゅっとそそり出て問いかけてきた生物の質問を無視し、わけのわからない生物をミホークに、自信を鷹村に擬え憂さ晴らしをするためだ。

程なくして注文した半チャンセットがテーブルに載った。テーブルに備え付けの辛子高菜を存分に投入し、チャーハンを口に運んでラーメンで流し込む。運動部出身の直哉にとって、ラーメンは飯のお供の汁物なのだ。

半チャンセットを軽く平らげると、なぜか生物の顔色が良いように見えた。

「わたし、やっぱり好きなんですよ。あなたがオンリー炭水化物を美味しそうに食べてくれるのが。」

そういえばラーメン屋の店主には生物が見えていないらしい。ずっと直哉の傍を離れていないのだが、注文をとるそぶりもなければ視線すら向けない。直哉は生物に疑問をぶつけてみる。

「お前さぁ、もしかして俺にしか見えないの?」
「見えないことはないでしょうけど、あまり気づかれないと思いますね。よほどのことがない限りわたしをジロジロ見たりするものじゃありませんから」
「なんで?」
「そういうものじゃないですか、人間って。」

そういうものと言われても直哉にはちっとも理解できなかったが、腹も満たされたし放っておくことにした。
直哉は家に戻り、万年床で昼寝をすることにした。

「やめられませんね、昼寝。わたし大好物です。」

生物が何か言っているが話を続けたって直哉には理解できることなんてない。そのため、直哉は生物の言葉を無視して布団に潜りこむ。仕事もない、趣味もない。そんな直哉の生活はこのように食っちゃ寝のヘビーローテーションなのである。

小一時間ほど眠り目を覚ました直哉は風呂に入ることにした。相変わらず生物は存在しているのだが、どうせ理解できないのでいないことにしている。

浴槽に溜めた湯船につかると、生物の輪郭が今までよりもくっきりとしていた。

「お前さぁ、ほんと何なんだよ。なんではっきりしてんだよ」
「え?だって、あなたはわたしのこと、いつもここで愛でてくれるじゃないですか」
「はい?つーか、なんかずっと傍にいるけど、昨日までどこにいたんだよ。」
「そうですねぇ、だいたいズボンの上とか、ベルトの上に乗っかってます。」

直哉はこれまでの生物の言葉が一つに繋がり、同時にぞっとした。

「まさか、お前は落ちるもの?」
「そうですねぇ。恋と同じで、わたしを落とすには相当な努力が必要だと思われますが。」
「燃焼系とか嫌い?」
「燃え焦げるのは恋だけで十分ですね。焦げるような恋心。」
「肉?」
「えぇ、そりゃもう。わたし贅沢なお肉ですから。」
「・・・どっか行ってくれる?」
「・・・無理です。」
「・・・どうしたら俺から離れてくれる?」
「・・・その気づきが第一歩かもしれませんね。」
「・・・粘着質だね。」
「一途ですから」
「いらない」
「恋とは大抵一方通行なものです」

呆然とする直哉をあざ笑うかのように「長いお付き合いになりますね」と、贅肉は微笑んだ。