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金田んち

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ぜんぜん豊かな人生じゃないよね

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友達ゼロだった私が、大人になってわかった友達を作る方法。 - ミニマリストは世界を救う!
これを読んだ。

最初に書きますが、友達を作るコツってすごいシンプルです。

•友達が欲しいという態度を出し、自分から声をかける
•受け身の姿勢の人が多いから、声をかけるだけで好かれる
•友達選びは、みんな適当なので気にしないで声をかける

ってことですけど、細かな表現は気になりつつもこのぶぶんは比較的同感です。同級生でアドレス帳の登録件数が飛び抜けて多い人とか、随分前にやめましたけどフェイスブックの友達件数がやたらと多い人なんかはこういう特徴の人でしたから。

で、この記事のまとめがこれ。

人生が豊かになる方法は、すごく簡単なことだと思います。

書き出しがこれ。

私、友達あまりいないです。今現在は、数か月に一度会う人が10人弱かなあ。

でも、元々はシャイで全然友達が作れなくって、高校2~3年の時は友達ゼロ。ひどいもんです。その後、30歳を過ぎてからは、逆に増えすぎて過ぎて管理しきれずにイライラして、整理してしまいました。そして、今は本当に少ないです。


タイトルは友達を作る方法。


結局この記事は「人生の豊かさを管理しきれずイライラして人生の豊かさを断捨離した私が人生豊かになる方法」について書いたもの。

なんすかそれ?


以下なんかスッキリしない部分を俺が整理したいだけの蛇足です。

ブコメにも書きましたが、そんな適当な友達をたくさん作ってどうしたいの?という疑問をこういう人たちに対して持ってたし、俺自身はそういう態度の人のことが好きではないです。
そういう態度の人って初対面でもなんとなく分かるし、その人にとっての友達は俺じゃなくて誰でも良いなら面倒だから話しかけてくれなくて良いです。

つーかこの記事を読んだだけでは友達と知人の違いについて俺には良くわかりませんでした。俺の中での友達と知人の違いは、その人のためなら俺が多少損しても構わないと思える人が友達です。そんで、自分が引き受けても構わない損の度合いが増すにつれ、親友、家族となり、その順位を基に俺自身の選択する行動が決まります。

なので、たとえ多少の損を受け入れても構わない友達の要求とはいえ、それが家族にとっての損になるのなら、俺は家族にとって損にならない行動をとるので、友達の要求は叶えられないということになります。

反対になんでこの人のために俺が損しなきゃいけないんだと思う人は知人なので、俺の知ってるほとんどの人は知人です。

さて、この記事には「いい話」というブコメがついてましたが、おそらく記事の中で書かれている学生生活、友達が全くいなかった私が変わるまでの経験談を指してのものじゃないかなと思います。

たしかに何かのきっかけでそれまで苦手だったことを克服できたという経験談というのは「いい話」なのでしょう。いじめられたことをきっかけに嫌われ者の自分を変えることが出来たというミニマルメンタリストのお話とかもそうだと思います。

で、その経験談っていうのがこれなんですけど

友達がいなかった時代にできなかったこと。「自分から声をかける」という難題
〈略〉
私は栄養士の資格をとるために、30歳の時に社会人入学しました。そこで、周りは18歳のキャピキャピした子の中、自分は友達が作れるものだろうか・・と、とても不安でした。その時、隣の席になったMちゃんという子と友だちになれたのですが、それはすごく簡単な理由でした。

それは・・

Mちゃんが私のことを友達認定してくれた、と勘違いしたからです。Mちゃんが、教室移動の時に私を待っていてくれたのを見て、あっ私を待ってくれてる!!と感動しました。それからは、私も遠慮なく、Mちゃんを誘ったり、昼休みに一緒に行動できるようになったのです。

でも、後でわかったのですが、その時Mちゃんは私を待っていたわけでなく、他のクラスの友人を待っていたという(笑)

マジすか⁉︎

短大の同じクラスで、たまたま、隣の席になっただけのMちゃん。友達でもないMちゃんから、何も声をかけられるわけでもなく、自分を待っていると勘違い。

ジョークなら分かるんですけど、こんな状況あるんすか?てか友達って認定制なんすか?

俺がこの人もしかして自分のこと待ってるかもっていう勘違いを引き起こす状況を想像すると、その人とある程度親しいっていう背景があって、そのうえで誰かを待っているようだという現状を視認した場合か、俺に向かって何か言いたげな表情と視線を向けているかっていう場合だと思います。

だとすると、単に隣の席というだけで特別親しいわけでもないMちゃんが一人廊下に出て窓から外を眺めながら待ちぼうけしている姿を見て自分のこと待ってるって勘違いはしないでしょうから、おそらく教室の扉の陰からちょこんと顔だけ覗かせて私の方をじっと眺めていたか、あるいは隣の席からなかなか教室を移動しない私の様子をじっと覗っていたか。

怖いなMちゃん。この線はないわ。

もうひとつはMちゃんとしては既に親しいつもりで私のことを友達だと思って接してたけど、私は年齢差からMちゃんのことを友達認定出来てなかった。で、ある日の勘違いをきっかけに年齢差からくる引け目みたいなもんを感じずMちゃんと接することができるようになった。

たぶんこっちでしょうな。

これって友達認定してもらう方法っつーより自分が友達認定する側、つまり相手に対して自己開示して、自分はあなたとの関係において損を請け負えますよっていう意思表示です。

けどなんか文脈から受ける印象で引っかかるなぁって感じてたのは、その意思表示が私にとっては相手が自分を友達認定してくれたと思ってること。つまり自己開示によって、相手側が損を受け入れる体制が整ったと感じてしまったってことです。

そりゃ友達関係も上手くいかなくてイライラするでしょう。

相手は既に友達と思ってるのに、自分の勝手な引け目を言い訳に相手に更なる負担を強いるばかりで、対して自分は求めるばかりの友達関係でしょ?よっぽど友達が私のことを好きでないと友達関係上手くきません。

ずっと好きで一緒にいる彼氏から「俺のこと本当に好き?俺でいいの?自信ないんだけど」とか言われたって、「いや好きだから一緒にいるんだろ⁉︎私にこれ以上何をしろってんだ!イヤならイヤと言え!」ってなりますよ。

だから、自己開示って確かに友達を作るうえでは大切な事だと思うんですけど、それによって自分が引き受けなきゃいけない負担が増すってことはハッピーセットだって言いたかったんだなぁと今わかったので終わります。