金田んち

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満たされた欲求とこれから

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ここ最近ブログに何かを「書く」という行為に対して、どこかしら「安心感」みたいなものを感じていた。そしてそれがどこから来るものなのか、ずっと考えていた。結果、それは許しみたいなものなのかと思った。許しというからには、何かしらの制限からということになる。それは俺が書くことによって天変地異が起こるために科せられたような制限ではない。というかそんな能力があるならほしい。何というか精神的な、俺の内部で自分自身にかけた制限みたいなものだ。

これは個人のブログなので、ここに「書く」ことは何でも良くて、今日1日のくだらない日記でも、ふと疑問に感じて考えたことでも、世の中に対する愚痴でも何でも良い。そういった意味ではブログを開設したその時に何でも書いて良い「安心感」は得られるべきなのだが、俺にはそれがなかった。

その原因はこれじゃないかと思う。

父方の実家には何も作っていないがそれなりに広い田んぼがあった。父の父、つまり俺のじいさんは足が悪かったことと、1日中酒を呑んでいたためアルコール依存症だったと思うが、田んぼの草刈りなど全くやらない人だった。なので、小学校5年生くらいまで父の仕事が休みの毎週末、家族揃ってじいさんの家に行っていた。父親は使っていないとはいえ田んぼが荒れないよう草刈りを行い、母親はばあさんを連れて川に洗濯に行っていた。んなわけはなく車で買い物に連れて行っていた。俺はというと、常に酒に酔って寝っ転がっているじいさんのいる居間で、ひたすらスーパーファミコンをして遊んでいた。

 

小学校のころ、週末になると誰かの家で誕生日会が開かれたり、そんなイベントのない日でも友達どうしで遊んだり、家族でどこかに遊びに行ったりする友達の話を聞いていた俺は、週末は友達の輪に入ることは出来ないし、家族でどこかに遊びに行くという経験も出来ない、そんな周囲とは違うもどかしさを常に感じていた。

 

週始まりの月曜日の朝、学校ではきまって「土日になにをしたか」みたいなテーマの日記だか作文だかそんなものを書かされた。俺はこの時間が苦痛でたまらなかった。クラスメートの書いた誰かと遊んだとか、家族でどっかに飯食いに行ったとか、遊園地に行ったとか・・そんな作文を聞かされるのがたまらなかった。対する俺の作文は毎週おなじなのである。「じいちゃんの家でゲームしました」それしか書くことがない。決まり切った週末を過ごし、決まり切った作文を発表させられ、対する他の人が経験した楽しそうな2日間の思い出を聞かなければならない。こんな時間無くなればいい、作文なんて書きたくない、日記なんて書いてもつまらない。俺はこの頃から思い出作文や日記というものが嫌いになった。ある意味トラウマみたいなものかもしれない。俺には日記や思い出作文に書くべき事がない、書いてはいけない人なんだ、と感じるようになった。

 

それは大人になっても変わらなかった。そんな俺がなぜブログを始めたかというと、定かではないが日記などを書けないトラウマみたいなものと対峙したい、という欲求があったのかもしれない。いろんなブログを読んでいて、俺にも書ける何かがあるのではないか、俺も日記や思い出を書いても良いのではないか・・過去の経験から自由になりたかった、ただその思いから起こした衝動だったのかもしれない。

とにかくブログを開設してみた。しかし、やはり始めの頃はうまく文章で自分のことを書くことが出来なかった。今でもうまく書けないもどかしさは良く感じるが、それはどちらかと言うと書くことへの不馴れや語彙力や表現力の不足などの技術的なものだろう。前はどうやらそこに恐れのようなものがあったらしい。書いたら炎上するとか非難されるとか、そういったものに対する恐怖ではなく、そこに俺のことを内面を感じたことを書いても許されるのかという恐怖だ。

 

前のアカウントではたしか半年くらいだったと思うが、ほとんど毎日に近いくらい記事を更新した記憶がある。まず何でも良いからここに「書く」ということをとにかく続けた。書き続けるにつれ、だんだん自分のことについて書けるようになってきた。単に「書く」ことに対する慣れなのかもしれないが、それ以上にくだらないことでも日記でも何でも書けば書くほどに「書いても良いんだ」という「安心感」が俺の中では蓄積されていった。

自分自身の中での「安心感」と平行して、記事を読んでコメントやスターを毎回のように付けてくれる方も数人出来た。この方達の存在もかなり大きかった。俺が書いたものでも読んで貰える、書いてもこの人達には許して貰える、そんな安心感を与えて貰った。さらに最近ブログを畳んだりまた開いたりと、読む側からすると迷惑としかとれないことをやったのに、それでも読んでくれる。ネットではその人たちに活かされてると言っていい。

 

たしかにせっかく書いたものだから出来ればたくさんの人に読んで貰いたいという欲求だってある。しかしそんな欲求は今はごくちっぽけで、書くことを許してくれた、そう感じさせてくれた人たちに恩返しがしたい。そのためには読んで面白いものになるような努力とか、書いたものの本心が伝わるように努力するだとか、そうしたところでしか今のところ恩を返す方法を思いつかないけれど、とにかく今の俺に出来ることをやっていきたいと思います。

とりあえず具体的には俺のブログでは惚気が感じとれるらしいので、そこがもっと伝わるように頑張ってみる。

こんな人のブログを読み続けてくださる方へ。嫁の次に愛を込めて。