金田んち

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記事を書くときの評価軸

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単なる自分語りです。ご了承いただける方は先にお進みください。

なにげに俺はなんで毎記事1時間くらいかけてブログなんて書いてるんだろうと思った。1時間あれば洗濯物と洗い物くらいの家事であれば余裕を持ってできるし、だいたい記事を書いてるのは夜だから1時間早く寝りゃ翌朝の目覚めもすっきりするだろうにと。

こんなもん書いて公開したところでほとんど誰の役にも立ってないだろうし、少なくとも誰かに気付きを与えようとか参考になること書いてやるぞみたいな気概を持ってキーボードをバシバシ打ち込んでなんかいない。むしろ、死んだ魚のような目でディスプレイを眺めながら、今頭んなかに流れてる考えをキーボードを介してディスプレイに垂れ流しているようなもの。うん、別に誰から頼まれたでもない文章を只管打ち込むという作業の形がこのブログですね。

ところで、なんでそんなメンドクサイことをやってるのかということだけど特にこれといった強い理由はない。昔はあったかもしれないけど忘れた。敢えて何かしらの理由を付けるとすると、普段なら言葉として発することのない、俺の脳内だけでうろつくだけの考えを文章にしていくという作業を続けているうちに癖になったみたいなものなんだろうけどイマイチ分からん。

でもこうしてブログを書いていると、たまに書いた文章に対してコメントという形で反応を貰うことがあって、あ~読んでくれて何かしらの思いを返してくれたんだと凄く嬉しくなる。
さらに「はてな」には引用スターがあって、それを付けられると文中にマーカーが引かれたように表示される。それを見ると、この人はこの部分に目が留まったんだな、この部分からどんなことを考えたんだろうかと色んな想像をかきたてられて楽しい。それとはまた別に若干1名ほど、誰とは書けませんがおかしな引用スターの使い方をする人もいるんですね。
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「息子さんください」っておかしいでしょ?まったく屈託のない笑顔のアイコン使えば何やっても許されると思いやがって。普通に毎回笑わせてもらってるんですけどね。

それはさておき書くことの動機って誰かからの反応をもらえると嬉しいから、ではなく、むしろそっちはおまけみたいなもん。今何か考えていて、それをディスプレイに起こすこと。まずその一連の作業そのものが楽しくて、ついでに公開して反応があったらプラスアルファで嬉しいようなもの。
当たり付きのお菓子が好きなのはそれが当たった時に嬉しいからじゃなくて、もちろん当たれば嬉しいんだけど単純にお菓子の味が好きみたいな感覚。

そんな理由ではてなブログを使ってるんですけど、同じようにはてなでブログを書いてる人の文章を読むと、こいつらこんな文章書けるってことは、全ての感覚の脳内保存媒体が文章なんじゃないかとか、まさか文字から生まれたんじゃないかってくらい驚く。心的描写のタイミングやボリュームが絶妙だったり、単語選びによってすげーリズミカルな文章を奏でてたりする。あぁ俺もこんなふうに出来事や考えを巧みに言語化出来るように、自在に文章を操れるようになりたいなと思う。いっぱい反応もらってて羨ましいなと感じることもままある。

でもそんなのこたぁ無理だ。

なんてったって俺はそんな人たちと同じ感性を持っているわけではないし、だからこそ世の中を見る視点が違う。見えているものが違うんだから当然同じものを見たとしても考え方が違ってくる。結果見た景色が同じでも、それについて書いた文章は俺と他人とじゃ全然違うものになる。まぁ当たり前のことなんだが。

そんな当たり前のことは分かってるんだけど、たくさんの人に評価されてる文章ってつい真似したくなる。しかし、そもそも文章の評価とはなんぞやと思う。
語彙力?発想力?

たくさんの人が何を軸に文章の良し悪しを決めてるのかってのがそもそも分からないけど、分からないからこそ多くの人に評価される文章って何なのかが良くわからない。分からないならそんなもんに目標を定めて足掻いてみても前に進んでるのか後ろに進んでるのかさえさっぱり分からん。

だから最近は自分の文章の評価軸なんか自分で決めた方が良いんじゃないかと思ってる。
たとえば1つのテーマについて最低2000文字は書くようにするとか、同じ文章中で同じ言い回しは使わないようにするとか、今日読んだ文章の中で語感が気に入った単語を使って文章を書くようにするとか。
書こうとするテーマとは別に書く作業そのものに何かしらのテーマを設けて、それが出来れば自分の中では良い文章、出来なけりゃ悪い文章とか。
自分で読み返してみて「ん?」と首を捻るような、支離滅裂な文章になってなければ良い文章とか。

まぁ掲げるテーマは何でも良いんですけど、目標を達成できれば良い文章だっていう自己評価を書く都度に出来るっていう点で、他人の評価っていう何時もらえるのかも基準も分からないものに縋るよりも自分の中での評価軸っていうのは建設的なのかなと思います。

そこで俺が最近目標にしているものが、あるテーマをいかに膨らませることが出来るかってことです。

何か1つのテーマについて書くときに、話の進み方は軸が2種類あると思うんですよ。

その1つが直線的な話の進み方。Aという問題に対する対処法を書こうとする時の、その対処法までの道筋を順を追って説明していくような話の進め方ですね。例えば、電球が切れた時の対処法を書くとすれば
電球のスイッチを入れっぱなしだと熱いので、油断して電球に触れた際に脚立から転倒の危険性があります。必ずスイッチを切って電球を取り外しましょう。
口径とメーカーをメモって(自分で口径の合う電球を探し出す自信がない人は使用済み電球を持って)電器屋に行きます。
きちんと会計を済ませて自宅に持って帰り、電球のスイッチが「切」になっていることを確認して電球をはめ込みます。
スイッチを入れて電球が点くことを確認できれば終了です。
メーカーによっては若干点灯時の色味が異なるので注意が必要です。
というような、そのことについて全く知識のない人にでも分かるような話の進め方です。

もう1つが渦巻き状な話の進み方です。こちらはあまり得意じゃない話の進め方で、話を膨らませるっていうのはこれが出来る人のことなんだろうなと思ってます。例えば、今俺の腕に風に靡いたレースのカーテンが触れてるんですけど、その様は蒸し暑いこの季節には清々しく感じられて良いなぁと思うんですね。普通だとそこで話が終わっちゃうんですけど、視点を変えるともっと面白い見方が出来るじゃないですか。
今ぱっと思いついたのは、白い布が捲れ上がって俺に触れているって状況が、好きだった女の子の結婚式に殴りこんで、純白のドレスを着た女の子を連れて一緒に駆け出し、走るために女の子が捲り上げたドレスが腕に触れてるみたいな場面が連想されるじゃないですか。走ってる最中「迷惑だった?」「迷惑だった!!どんだけ待ったと思ってんの!!」みたいな会話してるのが連想されるじゃないですか。
これ書いてて俺めっちゃキモいなと思ったんですけど、この渦巻き状の話の進め方が出来ると書いてて楽しいんですよね。書いた自分でもキモいと感じるくらいだから、これ読んだ人は吐き気を催すかもしれないですけど、すみません。

全然関係ないんですけど、さっき秘密のケンミンショーでラーメンが出てて食べたいなぁと思ったんですけど腹いっぱいなんですよ。だれか嘔吐以外で強制的に腹減らすライフハック知りませんか?

話を戻して俺が2つめの進め方が苦手な理由ですけど、話を膨らますことと話を脱線させることを間違ってしまぅんこですよね。だからといって脱線しないように気を付けると事実だけをつらつらと書き連ねただけの文章になってしまうし。書いてる途中脱線に気づいたときに書き直せば良いんですけど、せっかく書いたから消すのもったいないなぁと思って、よしまた次頑張るかって逃げてしまうんですよ。どうせ大勢に読まれることなんてないし気にスンナみたいな言い訳で自己完結させてですね。弱いちんこなんですよ。

それでまぁ今のところ目指してるの大テーマは、何かのテーマについて道順を追って話を進めつつ、その中で話に渦巻き状の膨らみを持たせるような、2種類の進み方が融合して話がジャイロ回転で進むような文章ですね。ただそうやすやすと出来るようにはならないでしょうから気長に努力を重ねることにしますけども。また気長っていう表現で逃げようとするあたり、とことんつまらん奴なんです。
小テーマとしてはその日の気分次第で、上にも書いたような何文字書くとかどの単語使うとか、思いつくまま無差別級で書くとか決めてですね。
大きなテーマで縛りを作りつつ小さなテーマでその日の遊びの要素を決めるみたいな書き方すると、楽しみながらも何か得るものがあるんじゃないかなと思ってます。

つーかここまで書いて今更気づいたけど、思いつくままに書きなぐってる記事が大半のこのブログだから、当たり前だけど話を直線的に進めるような文章を書いた記憶がほとんどないな。書いてるうちに疲れたら、もしくは飽きたら結論にするからってのもあるけど。
話がどこに辿り着くか自分でも分からんってナックルボーラーみたいだよね。