金田んち

スマホ表示の読者登録ボタンがどっか行きました。見かけた方はご連絡ください。至急引き取りに伺います。

葬式のこと書くの忘れてた

文字サイズ

文字を大きくする 文字を規定のサイズに戻す 文字を小さくする

いや、本当は忘れてたわけじゃないんですけど、昨日のエントリを書き上げた時点でもうだるくなったので、肝心のお通夜やら葬儀の話には全然触れずに終わってしまった。

ということで当エントリはお通夜やら葬儀についての日記になります。まぁ通夜から葬儀までの打ち合わせやら流れなどについては、それ専門のサイトが調べればいくらでも出てくるので書きません。ちょっとしたトラブルの話と、式の様子を少し。


早速ですが、うちがトラぶったのは告別式の前に振舞う「お斎(おとき)」という昼飯の場面だった。お斎というのは葬儀に来てくれた人が、故人とのお別れのため精進料理を食べるという儀式みたいなものらしい。

その「お斎」が準備してある部屋の収容人数がだいたい20人くらいで、当日お斎を食べたのは100人くらい。

つまり来た人順に「お斎」を食べ終わったら、葬儀が始まるまでの時間をどこか別の場所で過ごすことになる。


ばあちゃんが亡くなってから遺体が葬儀場に運ばれ火葬するまでの約2日間、通夜や告別式の時以外の時間は、親族が寝泊まりや着替えなんかをする控室で家族もばあちゃんの遺体も過ごすんだけど、葬儀当日の朝、控室で朝食を済ませた頃に葬儀場の人がやってきて「お斎はここに準備しますので荷物を片付けといてください」と言われた。

そこでうちの親父が

「ここは控室やないと?ここにお斎準備したら食べ終わった人なんかはどこで過ごすと?」

と、まぁ当り前の質問をしたところ

「お部屋はここしかありません」

と。

「ここしかありませんじゃなくて、食べ終わった人たちはどうするとね?」

と尋ねるも

「申し訳ありませんがここしかないんです」

と答える担当者。

「話にならんから別の人連れてきて」

と言ってやってきたのは、打ち合わせをしながら見積書を作った人。そこで初めて肩書を確認すると次長だった。

「あんたどういうことね?控室とお斎の部屋が一緒やったら食べ終わった人たちが待つスペースがないやない。足が悪い年寄りもいっぱい来るのにどこで待てば良いとね」

「はぁ、すみませんけどうちでは皆さんにこうやっていただいてます」

「みなさんは知らん。今日来る人たちはどこで待つとねって聞いたと」

「ええ、ですから、お部屋はここしかありません」

とまぁそれでもクレーム対応かと横から口出してやろうかと思うようなやり取りが30分ばかり続くも、斎場内にほかの部屋はなく、控え室兼お斎会場として使うしかなかった。

ここに来て会場変更なんて出来るわけはないから致し方ない。


結局、斎場に来られてお斎を済ませた方には、足の悪い方を優先してロビーのソファーに座らせたので、他の人は立って待ったり外をうろついたりしてた。

みんな口には出さなかったけど、たぶん控室もないのかって思ってただろう。だって長い方はお斎を食べ終わって1時間くらい立ちっぱなしだったから。


この斎場ではみんなそうしてもらってるって言ってたけど、ロビーに人がわんさかいる状況を見た斎場の職員はけっこうあたふたしてる人が何人もいた。

普段こんな状況でも「やれてる」って結論付けてるのか、それとも招く人数が少なくてお斎会場兼控え室で足りるくらいの人数しか対応してないから「やれてる」と言えるのか分らないけど。


今回喪主も主な打ち合わせも務めた親父は、じいちゃんの葬式の時も打ち合わせをやったし、色んな親族の葬儀に行ってるから、その経験から「お斎」が済んだら別室でくつろぐっていうスタイルが当然だと思ってたんだけど、葬儀場の人は「お斎」が済んだ人は各々勝手にどっかスペースを見つけてくつろぐっていうのが当たり前のスタイルだと思ってるから、打ち合わせの段階でお互い何も確認することなく進めてしまったのが今回のトラブルの一番の原因だった。


まぁ使い慣れた場所以外で何かをやる時って、利用者としても当然の確認事項として、主催者(今回だと親族)の行動と、来客の行動を会場関係者と事前にシミュレーションしとかないと絶対どこかで失敗すると思うんだけど、今回の件に関しては、事前打ち合わせ兼見積を通夜当日の朝やったんだけど、その段階で最後までシミュレーションしなかったのがまずかった。

打ち合わせには俺も同席してたんだけど、その段階では通夜のことばっかり話して、例の次長さんが「告別式の打ち合わせはまた明日行います。そうでないと一度に打ち合わせると忘れますから」とか言ってて、不安は残りつつもそんなもんなのかって流したのが失敗だったと思う。

まぁおかげで次は同じ失敗はしないだろうけど、葬式って他のイベントごとと違って、突然やらなくちゃいけないしバタバタするから、誰かが亡くなる予兆がなくても会場だけは事前に見とくと良いかもしれないと思った。


これでトラブルの話は終わり。あとは蛇足のように泣けたし笑えた式の様子を。


俺は息子を連れての参加だったんだけど、どうしても小さな子供がいるとこういう場にそぐわないことをやらかすのが定石だと思った。

うちの子は坊さんが独特の声で唱えるお経が怖いらしく

「なーむあーみだーんぶーなーむあーみだーぁぁーんぶー」

って唱えだすと、小声で

「こわーい」

って半べそかきながら抱きついてきた。うむ、かわいい。んで、お経の途中途中に金属のお茶碗みたいなのをポーンって叩く音は好きなようで、坊さんが茶碗を叩くと

「ぽ~~ん♪」

とでかい声で復唱。周りの人はクスクスと笑いを堪えているようだった。んで、また独特のお経の声が聞こえると、声が小さくなり

「こわーい」

というのがしばらく続き、お経やみんなのお焼香も済みクライマックスの喪主の挨拶。


ふだん全く弱みをみせない親父がマイクの前に立ったんですけど、手にしたあいさつ文を読み始めてすぐ声が詰まった。

そりゃ自分の親が亡くなったんだもんな。

それに10年以上も毎日一人で、ものの5分くらいだけど、仕事終わりに「ばあちゃんとこ行ってくる」つって老人ホームや病院に様子を見に行って、痴呆でわけ分んなくなったばあちゃんと一言二言会話してた。
それから家に帰って、今日はどんなだったって他愛もない報告をしてくれてた。

故人との思い出が走馬灯のように巡るって言うとたちまち陳腐な表現になるけど、そこに集まった誰よりも思い出が多いのは親父なんだから、そうなるのは自然なことだよね。

んで、叔父さんが親父のもとに歩み寄って続きを代読してくれた。叔父さん、ありがと。


そんな場面でまたやらかすのが小さな子供。まぁまたもやうちの子なんですけど、抱かれた息子が偶然嫁の親父(じいちゃん)を見つけ、うつむき加減に真剣に話を聞くじぃじに

「じぃじ寝とー」

と。静まり返ってしんみりとした場面でそりゃいかん、ほんと、涙も笑いも堪えるのが必至だった。
ばあちゃんが生きてたら、絶対この式は笑ってくれてたと思う。93年間、お疲れ様でした。さよなら。ありがとう。