金田んち

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「常識に囚われてない」ってポジティブな揶揄じゃないか?

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「常識にとらわれない柔軟な発想を」
なんか職場でいろんな方面から聞こえてくる。何かの企画募集の文末にも毎度いらっしゃいました常連さんって感じで金魚のフンみたいにくっついてくる。

もうね、この定型文はいらないと俺は思うんですよ。なんでかって、結局この「常識に囚われない」の含意としては、「自分では思いつかないアイディアを募集します」あるいは、「自分が未知の知識の提案をお待ちします」ということしか言ってないわけですよ。

この「常識」っていう中身がおぼろげなワードを謳い文句にするとですね、たとえば会議の場での「常識」っていうのは、その会議出席者の既知の事実の総意であるだけなんですね。だから要は、出席者の誰もが知らない知識をこの場で披露してください、ただし、この場にいる人間の既知の知識というのは「常識」なのでお知らせしませんが。ということになる。

確かに「常識」って便利な言葉だと思いますよ。なにしろそのワードの発言者しか知らない事柄でさえも「常識」の範囲に含まれていることって往々にしてあるんですから。
んで、俺が不思議でならないのが、世の中で一般的になっている「常識」というものについてみんなどこで既知の事実にしてるんだろうか、いや、その「常識」を説明できるのかってことです。

だ る ま さ ん が 、、、どてっ囧rz

うーんと、猫まんま。俺お昼ご飯は愛妻弁当をほとんど毎日食ってるんですけど、嫁が弁当と一緒にインスタントの味噌汁を入れてくれるんです。んで、弁当のご飯、白米ですけども、最後に少しだけ残して味噌汁にぶち込んで猫まんまにして食べるのが好きなんです。

でもこう、世の中の「常識」としては人と一緒に食事をする場において、この猫まんまは下品なものらしく、やらないのが「常識」らしいんですな。つまり一人でこっそりと食事をする限りにおいてはやっていいけれども、他人と一緒に食事をする場ではやっちゃいけない。俺はこれについて全然理解が出来ない。
誰に迷惑をかけるわけでもない、猫まんま禁止法が法整備されてるわけでもない。カレーとご飯は混ぜて食っていいし、雑炊やお茶漬けだってメニューにも載ってて堂々と食べられるのに、猫まんまだけが「常識」によって下品とされる。おかしいじゃないか!!

おかし食いたいじゃないか!!

同じようにですね、一人なら良くて他人の前ではダメな行為の代表として「オナニー」があります。他人って心を許しあったそういう人との間では別ですよ。お互いが認めてるなら自由にやったらいいんです。汗や愛液や精液の臭いが入り混じる蒸し暑い、俺のオナニーと私のオナニーが交わる空間は全然あって良いです。
しかし不特定多数の前でのオナニーはダメです。これについては議論の余地もなくわいせつな行為として法的に処罰されてしまうし、何よりオナニーに勤しむ行為というのは秘密だからこそ価値のあるものだ。
だから世間様の「常識」としてなぜダメなのかは俺としては問題ではなく、俺の「常識」としてはこういう理屈でダメだと結論づけている。

さらにはうんこ。あれはさすがにみんなの前でするもんではない。昔下水処理場の見学に行った時に教えてもらったことであるんですけど、そん時にお姉さんから下水道整備は公衆衛生の保全に寄与すると学んだ。
生活圏への糞尿の垂れ流しは、悪臭問題でだけでなく、むしろ下水道の原点は伝染病コレラの蔓延を防ぐために始まったものらしい。
今世間ではエボラが流行っているが、仮にエボラ感染者が大都会東京の生活圏ないで糞尿を垂れ流せば、爆速で感染が拡大してしまうことになる。ダメだ、道端にクソなどしてはならぬのだ。これこそ常識なのである。

お姉さんは綺麗だったと記憶している。幻想だったとは言わせない。

ところで、結婚披露宴の招待状に「お祝儀は受け取りません」みたいなことを書く文化がどこかしらで流行っているらしい。
いやぁ世の中ダメノミクスの影響なのか景気が良いもんだ、実に羨ましい招待状じゃないかと感じたのだが、実際にその招待状を受け取った本人は、俺の上司なのだが、金を払わず披露宴への参加は気が引ける言っていた。
加えて披露宴の会費についても招待状には明記されていなかったそうで、まいったぞ、これはどうしたものかと相談を持ちかけられた。
「金田さん、お祝儀の受け取りを辞退され、会費についても明記されてない披露宴の招待状が届いたんだけど、君ならどうする?」
ただ飯食えるんだからお言葉に甘えろよと思ったが、どうも悩みの本質はそこではないらしく
「やっぱりお金を出さずに披露宴に参加するのは常識的にねぇ。ただ直接会費について聞くのもなんだか聞きにくくて、でも聞くのが良いのかねぇ」
どうもお金を払いはしたいがいくら払えば良いのか、しかしお祝儀の受け取りを拒絶する相手に、どうやったらお金を渡せるのかで悩んでいるらしい。

だったら

「お祝儀包むつもりの額を入れた封筒に『会費』って書いて渡せば良いじゃないですか」
と言ったら
「斬新なアイデア!そうしよう!ふつう考えつかないよ」
と絶賛されたんだけど、いや、渡したいもの渡す際の大義名分くらいいくらでも変えられるだろ、むしろなぜ披露宴で渡す会費だけが特別にお祝儀なんて名前が付いてんだってとこに疑問を持たないのかこの人は、と俺は思う。(自慢みたいだろ?JIMANNDAYO。たまには自慢させてくれ)

この際の「ふつう」についても「常識」と同意で、つまり誰かの中での固定化した知識という意味でしかなく、それが固定化してない人にとっては「常識」に囚われない提案をすることこそ、まさに「ふつう」なのである。

逆に、同じ結婚式披露宴にゲスト参加した時に、ネクタイは白をつけちゃいけないという「常識」が俺には欠けていて凄く笑われた経験もある。

結局、普段簡単に使ってる「常識」というワードは、ある文化の中、特定の人間間、あるいは特定の組織間などで共有された既知の事実に過ぎず、その内部で声高に唱えられる「常識にとらわれない」というのは、その関係性において共有される既知の事実についての無知をポジティブな表現で揶揄する言葉に他ならないのだ。

そういう認識の俺のもとにもこれからも金魚のフンは続々とやってくるでしょう
「常識にとらわれない柔軟なご意見を」
だから、あんたの「常識」を俺は知らないんだ。まずその「常識」がどんなものなのかを羅列してくれなきゃわかんないんだよ...。