サンタの忘れもの
【第3回】短編小説の集いのお知らせと募集要項 - 短編小説の集い「のべらっくす」
チーン
古びた3DKの県営住宅に住む三田輝作は、居間として使っている部屋の一角に置かれた仏壇の前で手をあわせるのが日課だ。
「おわよー」
ガタガタ、ツァー
襖を開けながら冷めやらぬ眠気をゴシゴシと擦りつつ朝の挨拶をしたのは、輝作の息子の優輝である。
優輝は今年7歳、未だたまにおねしょをしかぶってしまう小学1年生だ。
「とーちゃん、いっつもちーんしよーね」
「母ちゃんやからね、父ちゃんには大事なことなんよ」
輝作の妻は、優輝が1歳の頃に不慮の事故で亡くなってしまったため、優輝は母親と過ごした記憶というのがほとんどない。そのため、自分に母親がいる生活というものが想像できず、また何より母親を亡くしたことに対する喪失感のような感情がない。
なので、輝作はそんな息子に対し、自分がやっているように仏壇に手をあわせるよう強要するようなことはなく、また必要以上に母親の話をしなかった。
「かーちゃんおらんのに?」
「おらんくても、見えんくても、大事なものってあるんよ」
「ふーん、とーちゃん、だいじだいじ♪」
そのような接し方のためか、優輝は自分に母親がいないことを過度に悲観することもなく、また、自分に与えられた家庭環境と他人のそれを比較することもない、どちらかといえば楽観的でマイペースな性格の子どもであった。反面、周りの友達の目が気にならず恥ずかしさもないため、夜中のおねしょがなかなか直らないことが輝作の悩みではあった。
その日の夕方、仕事帰りに学童へ迎えに行った輝作を、待ってました!とばかりに優輝が駆け寄ってきた。
「とーちゃん、クリスマス!もうすぐ!サンタさん、くるかな~」
妻が生きていた頃、大手ホテルのシェフとして働いていてそれなりの収入があったが、妻の死をきっかけに、昼間しか営業してない、しかも主な客が公務員であるため土日祝日は営業のない定食屋へ転職した。そのため収入は激減した。収入面では不安があったものの、一人で優輝を育てることを考えると、帰宅が深夜になってしまう前職を辞め、子育てに充てる時間が十分にとれる定食屋への転職は、最善の選択だと輝作は考えていた。
定食屋で働くと決めた時には、お金くらいなんとかなるさ!と自分を奮い立たせたものの、手取り20万を切る収入では日々の生活は楽とは言えない。
「ん...うん、くるかなぁ?」
優輝の口から「クリスマス」という言葉が出た時、今年もくるのかぁと、輝作は咄嗟に頭を抱えたくなった。
「優輝、今年はサンタさんに何をお願いするん?」
「ん?とーちゃんには、ゆ・わ・ん。サンタさん、だーけ」
んっ!?と眉間に皺を寄せ大袈裟に困った輝作の顔を見て優輝はゲラゲラと笑い、悪戯な笑顔のまま
「じてんしゃ」
と小声で耳打ちした。これはヤバいものを頼まれてしまった。つい先日の車検が響いて、いつも以上に家計がピンチのところに思いもよらぬ大型出費のオーダーが入った。
「それはいかん!ほら、サンタさんの袋に自転車入れたら他の人のプレゼント入らんやろ?」
高額になるであろう自転車の購入を避けたい輝作の口から咄嗟に出た、でまかせ。
「え゛―――じてんしゃ!」
その日優輝は、じてんしゃ!じてんしゃ!と寝付くまでヘビースモーカーの如く繰り返した。輝作は優輝の願いの強さを知り、何とかしてやりたいとは思ったものの、クリスマスまでに収入の予定はない。
翌日、輝作が朝食の支度をしている台所に、違和感丸出しの歩き方で優輝が起きてきた。どうやらまたおねしょをしてしまったらしい。
「優輝、おはよう。まず着替えておいで」
「おわよー」
挨拶を済ませた優輝はくるりと振り返り、脱衣所で着替えを済ませキッチンに戻ってきた。
「とーちゃん、クリスマス」
また始まるのか...と輝作がため息をついたところで
「おおきい袋おねがいする」
輝作の頭は思考を止めた。感情も表情もないロボットのように優輝に体を向け
「・・・・おおきいふくろ?」
輝作の脳内で大量に舞うクエスチョンマークのことなどお構いなしの優輝は続ける
「サンタさんにあげるの。何でも入るおおきいふくろ」
輝作ははたと優輝が言っている言葉を咀嚼し、思考回路はそれまでの遅れを取り戻すべく急速に動き始めた。どうやら優輝の願いは自転車を入れても余裕の残る大きな袋をサンタにプレゼントすることらしい。
「それじゃあ優輝のプレゼントなくなるぞ?」
「ぅーん。でもね、次からね、みんなもじてんしゃもらえるようになるし」
輝作は努力もせず優輝の頼みを無下に却下してしまったことを恥ずかしく思い、また、優輝の優しさが沁み、思わず勇気を抱きしめた。
「ぎゃははは!!もーいたい!」
恥じらいと喜びのこぼれる輝作の表情とは裏腹に、抱きつかれた際のくすぐったさと、抱く力が強すぎたため優輝の顔は少しムッとしていた。
12月23日。クリスマスイブの前日は天皇誕生日で祝日である。最近はずっと天候が悪かったが、この日は朝から久々の晴れ間が射していた。寝不足が続いて輝作はゆっくりと休みたい気持ちもあったが、外で遊ぶことが好きな優輝のストレスを発散させたいと考え、近所の公園で思い切り体を動かして遊んだ。
キャッチボールをしたり、追いかけっこをしたり、よーいドンっと駆けっこをしたり。
日暮れ近くになり急に雲行きが怪しくなってきたため2人は鉛色の雲に追われるように家に帰った。普段運動という運動をしない輝作は、優輝を寝かしつける際どっと湧き上がる疲れを感じ、ぐっと睡魔に引き寄せられそうになった。
「昔はもう少し無理もきいたんだけど...」
輝作はぼそっと呟いた。
対する優輝は、久々に輝作と遊んだ昼間の興奮が冷めやらず、目を閉じるもののなかなか寝付けないでいた。
30分ほど経過したところで輝作は優輝の布団を抜け出した。これまでも寝付けない夜には、何度か輝作のその後ろ姿を眺めたことのある優輝は、今から輝作が洗濯や洗い物をすることを知っていた。
ドダーーン!! グルルル
夕方から天気はさらに悪くなり、1時間ほど前から外は雪がちらついていた。光と同時に大気を力いっぱい叩いたのは雷。冬場の雷は大荒れの予兆らしい。
ザッザッ ガチャ カッチャン
優輝は雷鳴に掻き消されそうになったその微かな物音が何を意味するのか瞬時に判ったが、底知れぬ絶望からしばらく体が動かなかった。
とーちゃん…どっか……いった
優輝は自分に突然襲いかかった絶望から全力で逃げるように、嗚咽で呼吸器が壊れそうになるほど咽び泣いた。
しばらく経ち呼吸が楽になったところで、輝作が出て行ってしまった理由が自分にあるのではないかと思い、そして輝作の言葉をふと思い出した。
「大きくなったら洗濯も洗い物も自分で出来るようにならんとね」
キッチンを見ると夕食で使った食器が、脱衣所を見ると洗濯を終えた洗濯物がカゴに入れられていた。
優輝は言葉と同時に、優しく微笑みながら言葉をかけてくる輝作の顔を思い出し、今にも溢れ出しそうな涙を堪え家事に取りかかった。とーちゃん帰ってきて!と願いを込めて。
優輝は不慣れではあるが、一通りの家事を輝作と共に何度もやっていたため、時間こそかかるものの洗濯も洗い物も終えた。
ほっと布団の上に膝を折ると、昼間の疲れ、号泣の疲れ、慣れない家事の疲れが優輝を眠りに引きずり込んだ。
「優輝!早く起きんか!遅刻するぞ!!」
翌朝、優輝は輝作の怒声で目を覚ました。普段なら重い寝起きの体も、今日はズンズン輝作に向かう。
「とーちゃん!」
「とーちゃんじゃなくて早く準備!遅れるぞ!」
優輝は目の前の輝作に抱きしめて欲しく両腕を開いたが、目の下にはやさぐれたクマが出来た輝作は、イラついていて優輝の思いを汲み取ってはくれない。
その夜、昨夜の出来事が優輝の頭を覆い寝付くことが出来ずに寝たふりをした。すると輝作は、昨夜と同じように家から出て行った。この日の天候も相変わらずに荒れている。朝のニュースでは、お天気キャスターが明日から天候は回復すると言っていた。
優輝は、朝から輝作が怒っていたこと、家を見渡すと今日も自分が家事をやらなかったことを思い、自責の念に駆られ家事を終えた。
カラカラカラ、ガシャン
輝作が帰宅した時、優輝は輝作の布団で寝ていた。
「寒いのに今日も頑張ってくれたんだな、ありがとう優輝。」
輝作はぼそりと呟き、1週間で泥のように溜まった疲れをシャワーで流した。泣きはらしたことなど知る由もない輝作は、優輝の鼻が赤いのは寒さのためだと優輝の眠る布団に一緒に潜りこんだ。
翌朝、優輝はガバッと輝作の布団から飛び出て、昨夜自分の部屋に吊るしておいた靴下のもとへ駆け寄った。
「ない...」
がっくりと肩を落とした優輝は、朝食を摂ることもせず黙り込んで学校の支度を済ませた。優輝はサンタが来なかった理由が最近輝作を怒らせてばかりだからだと自分を責め、学校に向かうため行ってきますも言わず俯いたまま玄関を出た。
「とーちゃん!あった!じてんしゃ!」
3秒とせず優輝は輝作のもとに駆け寄ってきた。昨日までの荒れた天気が嘘のように晴れ、窓から射し込む日差しが優輝の潤んだ瞳を一層輝かせた。
「お手伝い頑張ってくれたことをサンタさんに伝えたんよ。袋がなくても頑張って持ってきてくれたみたいやね」
「でも、きのう起きとっても、サンタさんもじてんしゃも、見えんかったよ」
「見えんでも大事なものがあるんよ」
「そっか!ちゃんとあったもんね!」
輝作は優輝の目の高さと合うよう屈み、クマのとれた目じりに皺を寄せ、いつもの柔らかい笑みを浮かべ優輝の頭を撫でた。
チーン
三田優輝は、居間として使っている部屋の一角に置かれた仏壇の前で手をあわせるのが日課だ。
「親父、俺やっと分かったよ。見えなくても大事なもの」
他人には見えない感情や思い出、そう言いたかっんだよな。
あの年のクリスマス前の1週間、前働いてたレストランに頼み込んで雑用のバイトやってたんだってな。親父の葬儀に来たオーナーが話してくれてやっと分かったよ。そうやって無理ばかり重ねるから俺が成人してすぐ足早に逝っちまって。あの夜のことを親父に聞いても「そんなことあったっけ」と、いつも答えは一緒だったからずっと分からなかったんだ。
お陰で俺は今でも深々とにここに残ってるんだけど。それとさ、父子家庭で家事は当たり前だったのを昔はバカにされたんだけど、今ではイクメンって重宝されるんだぞ。羨ましいだろ。
…親父が忘れたって言ってた大切な忘れ物、俺がそのうち届けに行くからな、三田(サンタ)として。
「優輝―、流星を起こしてきてー」
「あいよ」
まぁそれも、この子にたくさんのプレゼントを贈ってからになるけれど。