タバコやめて!
急に思いついたので書きました。創作です。
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「珠里、今日は学校でどんなことがあったんだ?」
「うーん、ふつうだよ。縄跳びして遊んだ。」
「そっか」
毎日仕事から帰宅し、一人食卓についいて、一人娘の珠里や妻と交わす他愛もない会話が俺の楽しみだ。
さらにこの時間は、日中仕事で家を留守にする俺が、家族について何かを知るための貴重な時間でもある。
この僅か30分から1時間そこらを大切にしているためか、周りの父親からは「よく娘さんのことが分かりますね」なんて言われ、謙遜はするものの、実のところ満更でもない。
俺は妻や娘を愛しているから、彼女たちに対する努力は誰にも負けていないという自負さえある。
「そういえば珠里、今日の保健の授業ってどんなだったんだ」
珠里は小学5年生になる。それくらいの時期の保健の授業の目玉といえば、言わずもがな「性教育」である。
娘達に対してどんな教育が施されているのか、親としては気になってしまうものである。
「今日はタバコだった。体に悪いんだって。」
「そうか、タバコか」
全くの予想外の授業内容に、相槌が素っ気なくなってしまった。
おもむろに珠里が立ち上がり、萎れた表情が俺の元に歩み寄ってきた。
「お父さん」
目の前の珠里の表情を覗くと、目にはうっすらと涙が浮かんでいる。
素っ気なくなってしまった返事が悪かったのか、ただ、それくらいで涙するような娘だったか、と思いつつも、謝っておくことにした。
「ごめんな。ちょっとぼーっとしてしまって。それで、どんな話だったんだ」
「違うの。お父さんにタバコやめてほしいの。体に悪いんだよ。あたし、今日習ったんだから!」
妻も俯き肩を揺らしている。すすり泣いているのだろうか。俺の体を思って。
「あ、あぁ。お父さんもやめようと考えてたところだ。」
つい珠里の勢いに気圧されて、妻の態度を見てしまってやめると言ってしまった。
口に出したことは守るのが我が家のルールである。それを子どもに徹底させるには、親が必ず守らなければいけない。
つまり、この瞬間から俺の禁煙が始まった。
しかし、つい昨日まで何も言わなかった娘がこれほど必死に訴えてくるくらい、タバコの害についての授業とは効果的なものなのだろうか。ある種の洗脳のようである。
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禁煙は想像以上に辛いものだった。吸いたい!という欲望を断たなければならないのはもちろんだが、何より辛いのは久遠とも感じるほどの強烈な睡魔との闘いである。
朝から晩まで、24時間常に襲いかかってくる睡魔。その睡魔に対抗するため、また、手持ち無沙汰を満たすため、大量のガムを食べることとなった。
タバコをやめて浮いた金は、むしろそれ以上に、噛んでは吐き捨てるガムとして消費された。
しかし、これも珠里を泣かせないためだ。そこに要する金が問題ではないのだ。
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禁煙開始から一週間ほどが過ぎ、タバコを吸いたい衝動も睡魔もだいぶ治ってきた。
しかし、大量にガムを噛む習慣が今度は染み付いてしまっていた。
「珠里、お父さんタバコやめたぞ」
まだ一週間ほどしか経っていないが、娘を悲しませなくて済む禁煙をやめる決断をしないことは断言出来たため、そう報告した。
「あっそ」
しかし、なぜだか珠里は怒っている。ふっと立ち上がり俺の元に歩いてきた。
そして、今や手放せなくなった俺のガムをジロジロ眺め、おもむろに掴んだ。
「サイアク」
サ・イ・ア・ク。珠里は今確かにそう言って、ガムを持って踵を返した。
かと思うと、突如開け放された窓に向かい急加速した。
「珠里!危ない‼︎止まれ‼︎‼︎」
「うるさい‼︎こんなものー‼︎」
珠里の手を離れたガムは、イチローのレーザービームの如く、バサバサという音だけを残して、一直線に窓の外にそびえる山の中へ消えた。
「何やってるんだ」
「だって、ガム買ったらタバコやめたいみないじゃん」
「は⁈どういう意味だ」
「お父さんのおこづかい減ったら、わたしのおこづかい増やしてくれるって、お母さんが言ったの‼︎」
あの時の妻の肩の揺れ、必死に笑いを堪えてやがったんだな。