金田んち

スマホ表示の読者登録ボタンがどっか行きました。見かけた方はご連絡ください。至急引き取りに伺います。

「嫁」という言葉が嫌いになれなかった

文字サイズ

文字を大きくする 文字を規定のサイズに戻す 文字を小さくする

お久しぶりです。
前回ブログを更新してから約1か月ぶりの更新となりました。もっと更新頻度を上げたいところですが、このところ仕事が立て込んでいてなかなか時間がとれずにいます。今年の目標として掲げていた「のべらっくす」も結局5月分はなにも書かずに〆切が過ぎてしまいました。

前置きはこれくらいにして、購読しているいくつかのブログで
「嫁」って言葉がクソ嫌いで天地がひっくり返っても使わない理由 | ヨッセンス
について色々書かれた記事を読みましたので、今日は時間もあるし何か書こうと思います。

リンク先の記事で、冒頭では「「嫁」って言葉を使っている人に「やめろ!」って言うつもりはありません」と書かれていますが、最後には「この記事を読んで「オレも使うのやめよう・・・」って思ってくれる人がいたら嬉しい」と書かれています。

リンク先の記事を書いた動機として、単に俺は「嫁」という言葉が嫌いだという独り言を書きたかったというものよりも、周りの多くの人が使っている「嫁」に対して、俺は何となく女性を見下したニュアンスを感じてしまうのでやめてもらいたいから書いた、というほうが自然な気がします。なので、冒頭の文章は今日はいい天気ですねくらいに、記事全体の中では意味を持たない枕詞みたいなものなんじゃないかと思いました。

筆者のヨスさんはその何となく嫌いな「嫁」という言葉を使う人を減らしたいわけなので、記事を読んだ人も「嫁」という言葉が嫌いになるように「私が「嫁」という言葉を嫌う理由」としていくつか書かれています。そしてその理由が収束する先は「女性を見下しているように感じる」というところです。

あくまでヨスさんが「感じる」というところを強調されているので、おそらくは「嫁」という言葉を嫌う理由づけの部分について、何も調べることなくただ自分がそう感じているだけなんだよと言うための保険なのかなと思いました。

さて、「嫁」という漢字の成り立ちについて嫌いな理由にあげられていますが、この漢字の成り立ちは夫となる男性の家に行く女性を表したもので、家庭内での役割分担を表したものではありません。ヨスさんがどこにお住まいかは知りませんが、九州は梅雨入りしたみたいですし、もしかするとプンプン臭ってくるのは高い湿度のせいで発生した雑草のムッとする匂いとかじゃないでしょうか。

それから純粋に配偶者を指す言葉じゃないというお話しですが、確かに家父長制が当たり前だった時代では戸主の妻を主婦、息子の妻を嫁というような使い分けをしていたみたいなので、純粋に配偶者というよりは、戸主の視点としての誰なのかというような意味合いなんだと思います。なのでそこに職業的な意味合いは含まれていないと思いますし、「嫁」という言葉で表現される職業って何のことでしょうか。むしろお手伝いさんとかは「婦」が使われると思うのですが。

それと、時代錯誤と見下しているようなニュアンスを感じるということですが、それは過去の制度であった家父長制をどのように捉えるのかという問題なんだと思います。家父長制度の下では戸主に絶対的権力があったので、それ以外のたとえば主婦でも嫁でも息子でも立場としては下ということになります。それに、その一家の中で主に家事を担当し家計を切り盛りすることにおいてはベテランの主婦(戸主の妻)と比べても、新しくそういう役割を担うことになる嫁は弟子みたいなもので、格としては下です。

ただその格付けも、既に制度のない現在では意味がありません。配偶者を表す言葉の中から「嫁」を使う多くの人だって、単に選択肢のひとつに「嫁」があったから使うだけに過ぎないと思いますし、その意味としては自分にとっての配偶者というだけだと思います。

しかし、ヨスさんはその「嫁」から見下したようなニュアンスを感じたり、言葉そのものに時代錯誤感を感じられています。それはおそらく廃止された制度の残骸として、その風習や考え方だけが残った環境の中で育ったからじゃないかなと思います。
よく女は結婚したら籍を抜けなきゃいけないと言いますが、今の戸籍の制度では男も女も親の籍を抜けて、2人のうちどちらかを筆頭者にした新しい戸籍に登録されるので意味が分かりません。古い戸籍の制度は廃止されましたが、その制度の下で暮らした人たちの中には、感覚としての制度だけが残っているんだと思います。もちろん制度というものが作られた背景として、その時代を生活している人たちの生活があるわけですから、制度の廃止とともに全ての人の中から昔の感覚がそうやすやすと抜けないのは仕方ないとは思いますけど。

言葉は時代の流れの中で消え去るものもありますし、元の用法から意味合いを変えるものもあります。生息環境が変化する中で生き物が滅びたり姿かたちを変えたりするようなものだと思います。
今は単に「配偶者」を指す言葉としての使われ方が主流になった「嫁」から、時代錯誤だとか見下したようなニュアンスを受けるのって、ヨスさんの中に過去の家父長制度下での格付けみたいなものが根を張ってるせいで「嫁」の用法の変化について行けず、ヨスさん自身が感覚的時代錯誤なんじゃないかと俺は感じました。

あ、記事わ読んでも「嫁」を使いたくないとは思えなかったのでこれからも使います。

あと、全然関係ないですけど、この前二日酔いで飲んだ缶コーヒーは新聞紙を煮詰めたような味でした。あれは二日酔いで飲まない方が良いと思います。