金田んち

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寺地はるなさんのビオレタを読みました

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読み始めてすぐ、周りの音が聞こえなくなった。

山村由香さんが帯に記した本の感想を見て、いったいどんな物語なんだ、どんな言葉が綴られてるんだ、読みたい、絶対読みたい!と思って、昼休みに弁当をガッついて本屋に走った。今までの人生でこれほどワクワクして買いに走った本があっただろうか、たぶんない。ワクワクが重すぎたのか単に急いで飯を食ったせいなのか、本屋の一番奥の棚に並べられた目的の本を手にとった時には、お腹がキューキュー痛んだのだった。

外は小雨が降っていた。さっきは物凄い速度で走ったから避けられた雨も、腹痛で鈍速になったら避けられない。本だけは濡れないように庇って職場に戻った。

買った本はビオレ夕。あのクスクス笑ってしまうブログを書いてる寺地はるなさんの小説。

貨屋「ビオレタ」の売り物は「棺桶」とよばれる美しい箱。
行き場のない思い出や記憶をいれる「棺桶」をめぐる物語。
あなたなら、何を入れますか?

俺なら「ビオレタ」で買った「棺桶」に何を入れるだろう。行き場のない何か。
俺の都合だけで急に別れを切り出して傷つけてしまった元カノと出会った思い出?いや、彼女はまだ生きてるから謝り倒せば済むことだ。
高校の頃、予備のラケットを準備してなかったせいで負けてしまったダブルスのテニス大会。テニスボールでも入れる?いやいや、その時の記憶は酒の席でのネタとして、その時のパートナーに重宝されてる。むしろ。嫌味のように。
うーん、考えても今の俺には棺桶に入れるもの思いつかない。なんか寂しい。

俺の話はさておいて、このお話の主人公「田中妙」には「棺桶」に入れる何かがあるのか、それは書かない。いや、書けないのだった。

婚約者から突然別れを告げられた田中妙は、 道端で大泣きしていたところを拾ってくれた 菫さんが営む雑貨屋「ビオレタ」で働くことになる。
そこは「棺桶」なる美しい箱を売る、少々風変わりな店。
何事にも自信を持てなかった妙だが、 ビオレタでの出会いを通し、少しずつ変わりはじめる。

というのがビオレタのストーリー。
物語自体は凄く現実的。物語だからといって時空間を移動することはないし、コナン君的な事件もない。無駄にドラマティックでもエロティッシュでもアイスピックでもない。限りなく現実の世界に近いんだけれど、その現実世界は寺地はるなという人にはこんな風に見えてるんだ、ほぉ、ほぉ、はぁっ⁈と、最初から最後まで飽きる事なく寺地さんの世界が渦巻く。

物語の中盤?後半?に菫の息子が反抗期のため口にした「好きで産まれてきたわけじゃない」みたいな台詞に対して、味噌汁と思って飛びついて飲んだらトロピカルな味だったみたいな、戦意喪失せざるを得ない切り返しは寺地さんらしいな、と思った。

それは寺地さんの持つ感性だとかユーモアが引き出してるものだと思うけど、この物語からはもっと別の何かを感じた。
何だろう。
たぶんこの物語が限りなく現実だから、友人関係、恋愛関係、仕事や家族関係、色んな人や環境の中で、何か不揃いなピースを各々の登場人物が手探りで見つけて、みんな不器用に各々の形に繋げていく。そして、その人にもはっきりとは分からない、でも何らかの確かな形になる。そんなあるようでないような、ないようであるようなものが幸せなんじゃないかって感じた。これを信じなさいとは言わないし、これが正しいとも言わない。そんな押しつけがましくない物語。

いつブログで読んだものか記憶が定かじゃないけど、寺地さんのブログ記事をメモってるものがある。寺地さんが、なぜ物語を書くのかについて書いてたもの。

私はどうして物語を書きたいんやろう、とこれまでずっと考えていたんですけどわからなくて、ただやっぱり誰のためかと問われたら、自分のためだと答えます。現在の自分ではなくて、過去の自分です。子どもの頃ぜんぜん学校に馴染めなくて、毎日のように泣かされて帰ってきて、でも泣いたことが親にばれると「情けない」って怒られるので、目の赤みがひくまでピアノの裏に隠れていた頃の自分です。壁とピアノ(アップライトの)のあいだに60センチぐらいの隙間があったので、入り口に大きめの段ボール箱を置くとかっこうの隠れ場所になったのですね。

ピアノの裏は決して広くはないので、そこでできることは限られていて、だからいつも図書室で借りた本を読んでいました。その頃の私は、大人になっても自分の身に素敵なことなんか、なにひとつ起こらないのだろう、と思っていました。

さっき過去の自分、と書きましたが、私はなんとなくあのピアノの裏に隠れている子どもが今もどこかにいるような気がしていて、だからあの子どもに伝えたいのだと思います。いつかはそこから出てこなくてはならないんだよ、ということを。あの子どもが架空の世界に逃げこむためではなく、胸に携えて生きていくための物語を書きたくて、いつも必死で言葉を探しているのだと思います。

あ、ストーカーじゃないですからね、俺。この記事を読んでから、寺地さの書く物語ってどんなものなんだろうって、ずっと興味があった。辛さから逃がすために、生身の人間に決して危害が及ばない物語の世界の中に連れ込むんじゃなく、辛くても生きていかなきゃいけない世界で携えられるような物語って、いったいどんな話なんだろうって。
今回ビオレタを読んで、寺地さんは絶対人が痛む部分を的確に突けると思った。でも突くことは絶対しない。その代わり、その部分をくすぐってくる。くすぐり方を知ってる。そんな優しい物語。

小説を読み終わって、今までよりも寺地さんに興味が湧いて調べたらこんなのを見つけた。
第四回ポプラ社小説新人賞受賞『ビオレタ』刊行記念 | 寺地はるなさんインタビュー | WEB asta(ウェブアスタ)
リンク先に飛ぶと、お姉さんとおばさんの中間くらいのキレイ目な人の画像が現れた。これはインタビュアーの人だ。だって、寺地さんは息子のおもちくんから「肉」とか言われてるから、もっと「ふくよか」とか「健やか」というように形容される見た目のはずだから。
俺はインタビュアーじゃなくて寺地さんを見たくて読み進めた。
最後にまた同じ人の写真が、今度は緊張を纏った笑顔の写真が現れた。
そうか、そうか、そうだったのか。間違いない。俺は騙されたのだった。寺地さんとおもちくんにしてやられた。これは情報戦略だ。IT革命だ。防ぎようのないウィルスかなんかだ。もう「脱いだら肉すごい」なんて言い訳は通用しない。

よし、分かった。決めた。キミに決めた!金輪際ビオレなんて買うもんか!メリットにしてやるんだからららら〜

でもビオレタはまた読ませてください。