金田んち

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フェイスブック的コミュニケーション

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自分の書いたものへの指摘やアドバイスを「批判」とか「ネガコメ」と感じてしまう習性。

おそらく成長する過程で自分の発言を肯定してくれる、仲間内だけのコミュニケーション以外の発言を、意味のわからない外部からの攻撃として受け止めてきたんじゃないだろうか。

自分の発言を全肯定してくれる、言うなればオバちゃん的であったり、フェイスブック的コミュニケーション術の「ウン、ソウだね、ワカルヨ」を基本としたコミュニケーション。
そこには多少の認識の違いがあっても、「それ違うんじゃない?自分はこう思うよう」という当然なくてはならない思考の擦り合わせもなければ、「こうした方が良いよ」というアドバイスもない。

たとえ自分の意見と違っても、そのコミュニティ内の言葉は「ウン、ソウだね、ワカルヨ」を返すための器に一旦収納される。

これは特に学生時代を無難に過ごした人に当てはまるんじゃないかと思う。

極端に目立つような言動を避け、目立つグループから目の敵にされないように、かつ目立たないグループにも属さないように、中性的な立場を難なく確立出来るような人たちで、要するに八方美人で自分何も悪くないよね?と周囲の同調を求め、その同調こそが自分の正しさに繋がる。

けど、そんなに正しいのか?それ。

誰かに認められることだけが正義なのか?

なんでもかんでも認めて同調することが優しさなのか?

違うと思っても「ウン、ソウだね」と言うのが優しさなのか?

そんなフェイスブック的な「いいね」を基本としたコミュニケーション、俺は違うと思うけどね。