金田んち

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夫婦の呼び名

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読みました。感想をツラツラと書くだけです。
ちなみにうちでは嫁と俺が互いに呼び合うときは名前で呼び、子どもを介して互いを指す時は父ちゃん母ちゃんという俗称を使い分けています。

各家庭において、両親のことを子どもにどんな考えで何と呼ばせるのかっていうのは千差万別だとは思いますが。

例えば嫁の親戚は、お父さんお母さんという呼び名には重い責任感がのし掛かっているようで自分たちには耐えられないという理由からパパママと呼ばせているそうです。
本人たちの感覚のことなので、俺には理解し難いものではありますが。

ところで、ここからは俺が嫁の親戚が子どもに自分達の呼称を決めた理由を理解し難いことと同じように、他人には理解し難いかもしれぬ我が家ではこうした理由から使い分けをしているのではないかという理由を書いて見ることにします。

俺と嫁は子どもの親である前に、互いに名前以外の呼称のない彼氏彼女であったのです。

俺と嫁との出会いは高校3年生の秋でした。ただ、高校生の頃はクラスが一緒になったことはないし、部活も吹奏楽部とテニス部だったので、実際嫁と俺の接点というのは皆無でした。

ある日の掃除時間、何時ものように友達と廊下で遊んでいたら、今まで見たこともない可愛い女の子が友達と遊ぶ俺の前を通り過ぎました。

色白で髪の毛は軽く脱色され、ショートカットの小柄な女の子が屈託のない笑顔で俺の前を小動物のようにチョコチョコと走り去りました。

完全にどストライクの子でした。

でもそんなどストライクの子が同じ学年にいるのなら、3年間もある高校生活の中で見逃すわけもありません。

高校3年生の秋といえば、どんなに長い部活でも引退している時期です。そう、彼女は部活を引退し、今まで腰元くらいまで伸ばしていた髪の毛をバッサリ切ってショートカットにしたことで、それまでとは別人のようになっていたのです。

俺は彼女のことが気になり、クラスを調べると、たまたま仲の良い女の子が同じクラスにいたので
「あの子何て名前?」
と聞くと
「Mよ、もしかして好きなん?」
と茶化されたものです。

ただ問題は茶化されたことよりも、俺が一目惚れしたその彼女は、高校入学直後、友達から
「あの子どう思う?」
と聞かれ
「・・・ブスじゃね?」
と返事をし気にも留めていなかった女の子だということを、名前を聞いて思い出しました。

その名前を聞いた時、あの時相談してきた友達には合わせる顔がないなぁとか、これでもし俺が付き合うことになったら何て茶化されるか分からんなぁとかグルグルと頭を巡りましたがエイっと告ってOKもらっって、その後紆余曲折ありましたが結婚までしてしまったのが今の嫁であります。

端折りに端折ったんですけど思いの外前置きが長くなってしまいましたが、嫁との呼び名は今も昔もずっと互いの名前です。
それはたぶん今後子どもが大きくなっても変わることはありません。

嫁についても、どうも俺と同じ考えのようで助かったのですが、結婚したからとか子どもを産んだからといって、それまでの2人の関係がリセットされるわけでもなく、新しい夫婦とか親という人格に生まれ変わるわけでもない。だからお互いだけで呼び合う時にはお互いの名前で呼びたいよねという会話は付き合っていた時からしていたことでもあり、今でも普通にそうしていることです。

さて、問題は子どもに親のことを何と呼ばせるのかについてですが、あまり確かな記憶はありませんが、お父さんお母さんよりも子どもが発音しやすそうだからという理由で、子どもを介してお互いを指す時は父ちゃん母ちゃんを使うようにした記憶があります。

子どもを介してお互いを指すというのは、例えば子どもが絵本を読んで欲しくて近寄っては来たけれど、どうしても手が離せない時に
「母ちゃんに読んでもらいな」
というような時です。

ただうちの子は生後半年くらいから保育園に行っているので、親の呼び名が複数あることを理解しているようです。
俺の呼称だと家では父ちゃんと名前、保育園ではパパとお父さん。少なくともこの4種類の呼び名が俺であることを理解しているようなのです。

ここで不思議に思うのが、別に子どもにこう呼びなさいと教えたわけではない父ちゃん母ちゃんという呼び名を、家にいる時は両親の呼び名として使っている点です。
夫婦間で会話をする際には互いに名前で呼び合うし、保育園ではパパママもしくはお父さんお母さんという名で呼ばれているにも関わらずです。

何の根拠もないのですが、たぶん子どもって、大人が想像している以上にその場の環境に適応する能力があって、その場その場で適切な選択を脳内で行っているんだと思います。

だとすると、べつに親がどう呼ばせたいって然程気にするような事でもないのかと思います。

というのも、先にも書いたよに子どもってたくさんの呼称からその場その場でどう呼ぶのが適切なのかを自分で選びとると思うんですよ。

俺は小学校に入学するまで自分のことを「ぼく」と呼んでいたそうなんですけど、入学間も無く「俺」に変わったそうですし、親の呼び方にしても然り。

嫁にしてもずっと両親のことを「〜君」「〜ちゃん」と呼んでいたけど、ある日それが友達間で通用しない呼称だと分かり「お父さん」「お母さん」に変えたんだとか。

でも、嫁は両親のことをこれでもかってくらい尊敬しているし、尊敬云々は呼称とは全く別物なんじゃないかなと嫁を見ていて思います。

さすがに「おいっ」とか呼ばれるとゲンコツものですけど。

そしてこれは嫁が言っていたことですが
「私はお母さんでもお前でもなく、きちんと親からもらった名前がある。だからその名前で呼ばれたい。」
と言っていました。

確かに子どもからするとお母さんではありますが、俺からするとお母さんではない。貴女にはきちんと親からもらった名前があるんだから俺はその名前を呼びたい。そう思いましたし、やっぱ永年名前で呼び合える夫婦って素敵だなと思うのでそうしています。