ひとりでできるもん
近頃はずっと曇り空。しとしとと降り続く小雨にさらされ生い茂る葉。その中にところどころ顔を覗かせる紫の花はこんな天気に良く似合う。葉の上をカタツムリが這っていれば尚よい。
最近息子はそんな朝顔の葉のような黄緑の柄の、小さなスプーンを使えるようになった。
これまでは俺か嫁が箸でご飯やおかずを掴み、息子の口に運んでいた。
手が汚れることがあまり好きではないらしい息子が、手掴みで食べるものといえば大好物のきゅうりやおかしくらい。他の食べ物はスプーンを使って自分で食べている。
スプーンを使えるようになってから、俺や嫁から箸で食べ物を口に運んでもらって食事をすることを嫌うようになった。
自分で出来そうなことはまずやってみたいらしく、床にこぼしながらではあるが、真剣な眼差しで食事をしている。言うまでもなく結構時間がかかる。
歯磨きも布団の片づけも着替えも、下手くそではあるが、まず自分でやってみないと気が済まないようだ。なので朝は全速力の時間に追われる。
1人でやって出来ない時には「できーん」とヘルプを求めてくるので、そこからが親の役目である。内心「やっと出番か!よし急げ!」となる。
自分で出来そうなことはまずやってみたい。こんな気持ちは確かにあったよなぁとしみじみ思いだす。
俺は小学生の頃、毎週末ジジババの家に行っていたので、学校が休みの日はほとんど友達と過ごしていない。誕生日会に誘われたり、野球やサッカーに誘われたりしたが、全部断っていた。
別にジジババが嫌いなわけではない。友達との時間を一緒に過ごし、一緒の感覚を味わいたい。そんな時間も俺にとっては大切だったのだ。
平日、俺の周りの友達はみんなカギッ子で、学校が終われば好きな場所で好きに遊んでいた。対して俺は学童に行っていたので、学童の所有する限られたスペースで、学童内の友達としか遊べなかった。
何より辛かったのが、同学年の人達はほとんど学童に来てなく、遊ぶのはもっぱら低学年の子たち。
一緒にサッカーをしたり靴飛ばしをしたりコマを回して遊んだりしたが、全然張り合いがなくて面白くなかった。
そんな退屈な学童での生活が終わったのが小4になった時だ。
学童で面倒を見てくれるのは小3まで。それから両親とも働きに出ていた俺はカギっ子になった。
念願だった。
カギを紐に吊るし首から下げて学校に行くカギッ子。
同じ学年の友達と毎日日が暮れるまで遊べる、ずっと羨ましくて仕方なかったカギッ子だ。ただし平日に限る。
問題は土日だ。俺が小学校の頃は土曜日が半日授業だった。
半日授業の日は学童もなく、ジジババの家に行かなくても良い日だった。両親は朝から夕方までジジババの家でやることがあるため、行ってきますの際にカギを渡される。学校から帰ると準備された昼飯を食い、友達と思う存分遊ぶ。
この頃学校で「土曜日が一番好き」と言う俺をみんなバカだと笑ったが、たまらなく土曜日が好きだったんだ。
制限があるからこそ、その制限から解放される時間は、貴重そのものだった。
その貴重な時間を奪ったのはゆとり教育だ。導入後は週休2日制になり、必然的に毎週2日、ジジババの家に連行されることとなる。
平日はかぎっ子だし、以前の土曜日は準備された昼飯を食って夕方まで過ごしてた。たとえ完全に休みになっても、同じように友達と過ごしたかった。だから不満が溜まったある日に言ったんだ。
「土曜日ばーちゃんち行きたくない」
すると
「だめ。あぶない」
「なんで!前は大丈夫やったやん!」
「ダメなもんはダメ!来なさい」
俺の「一人でも大丈夫」という意見は聞き入れられず、力でも対抗出来ず、ばーちゃんちから脱走を図るも途中で疲れて挫折した。
土日に朝から晩まで小学生の子どもだけを家に残すことが不安だったのかもしれない。子に留守を任せる親に対する周りからの目を気にしたのかもしれない。
そこにどんな理由があったのか、大人になってから聞いてみたが覚えてないらしい。そんなことあったっけ?と笑い飛ばされた。
大した理由がなかったんなら、子どもの大丈夫をなぜ受け入れてもらえなかったのか。
俺は子どもが「大丈夫」や「出来る」を訴えてきた時、それらをどれだけ許容できるだろうか。親として出来ることといえば、今なら時間的制約を解決する工夫であったり、子供の力を疑わない惰性といったところだろうか。
そして仮にその挑戦が失敗に終わっても、そこから何かを学べるよう、声掛けなどのサポートをすることだろうか。
ここ何日か朝晩が冷え込み、カタツムリならぬコタツムリが恋しくなってきた。
布団を掛けては蹴飛ばし翌朝風邪を拗らす失敗を、生まれてこのかた繰り返し続ける息子に、はたして俺はどんなサポートが出来るだろうか。悩みどころである。