金田んち

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万能感とインターネット

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つまようじ、イスラム国…エスカレートする悪ふざけ投稿 “目立ちたい”が喪失させる倫理感 (産経新聞) - Yahoo!ニュース
先週これを読んでからモヤモヤしたものが残ってずっと考えてた。

これから先の文章はあまりまとまってないので、結論だけ先に書く。

「ネットがバカを可視化した」「ネットでの注目度がステータスを得た」。確かにそうだろう。さらに俺はネットに悪戯投稿する人たちが幼稚だと思った。そして幼稚な行動を起こしてしまうのに、ネットの構造が関係してると考えた。

ネットは人の成長過程で抱くはずの万能感を奪い取り、広く薄い世界に「何者にもなれない」たくさんの人を可視化した。

一方で、「誰でも」「何者かになれる」ような謳い文句が蔓延り、隙あらば人に万能感の幻影を魅せる、そんな構造の世界だ。

というのが結論で、あとはダラダラ続く。

記事へのコメントにもあるように、犯人がこんなことをやったのは「悪いこと」をすれば注目されると思ったからだろう。

でもネットに法に触れるような「悪いこと」を投稿すれば簡単に捕まることは知ってたし、捕まるのは嫌だった。だからやりたくない「悪いこと」を偽装した。

これだけでもなんとなく分かるんだけど、なんか釈然としないっつーか、モヤモヤした部分が残ってた。

俺だってこうして文章を書いてネットに公開してる。だから自分が公開したものが「注目されたい」って気持ちは分かる。

でもどうしても納得できないのは、なんで「やりたくもないこと」で注目されたいんだってことだった。

子どもがよく親の注意を惹こうと悪戯をする。俺はこの少年の犯行から、そんな幼さを感じてた。

でも2年くらい前に流行った冷蔵庫とかに入る事件なんかでもそうだけど、世間を騒がす目的のネットへの投稿って、なにもやってるのは子どもだけじゃない。

だから俺は、ネットには大人であっても幼くなってしまうような構造があるんじゃないかと思った。

そう考えて色々読んでたらこの記事を見つけた。
幼児化する大人たち『一億総ガキ社会』 | BizCOLLEGE <日経BPnet>
リンク先には

「大人になるというのは、『なんでもできるようになること』ではなく、むしろ「何でもできるわけではないということを受け入れていく」過程

だと書かれてた。

これを読んでなるほどと思った。

リンク先では「何でもできる」っていう万能感を捨てさることが出来ない人が増えたから、幼児化する大人が増えたと書かれてた。

俺はちょっと違うと思った。

昔に比べて、ここではネット前後でっていってもいいと思うけど、ネットによって万能感を感じることなく成長し、逆にそれまで感じることもなかった万能感の幻影も見せるのがネットなんだと思った。

ネットを使えば、自分の暮らしてる世界よりもずっと広大な世界が簡単に見れる。そこには家族や友達からはスゲーと言われるような自分の特技さえ薄れてしまう、もっともっとスゲー人たちがたくさん可視化された世界だ。

ネットがない時代には万能感を体験できた、井の中の蛙でいれたはずの期間でも、ネットが大衆化して若年化した今ではそんな感覚を得られる機会が乏しくなった。

昔は成長過程で徐々に受け入れていくはずだった「何者にもなれない自分」を、ネットは広い世界とともに簡単に可視化した。

つまりネットは、昔なら踏めたはずの万能感を抱く過程をすっとばさせた。

それとは逆に、ネットは万能感の幻影も見せるとさっき書いた。

たとえばブログ。たとえばYouTube。「誰でも稼げる」とか「誰でも読まれる」とか「誰でも人気に」みたいな謳い文句。

ちょっと考えればすぐにわかると思う。まるで誰でもが何かの上位層になれるみたいだけど、そんなはずない。

仮に誰が書いたどんな文章でも1万人の人が読むんなら、それは1万って数がすごくもなんともない。

他より注意を集めたり人気が出るって、そのコンテンツが他より秀でた何かを持ってなきゃいけない。

しかもその場は広い広いインターネットで、競争相手は学校のクラスメートでも職場の人でもなく、そのコンテンツを利用するすべての人。

どこかの狭い世界で凄くもない人が、なんでもっと広大な世界で凄くなれるんだ。なんで人気が出るんだ。なんで人を惹きつけられるんだ。

ちょっと考えればすぐにわかると思う。

でも無責任な先人たちが書き残してる。「個性が大事」「人がしないようなことを」「独創性を」。そうすれば注目される。
それは、誰にだってチャンスはある。だって自分に出来たんだから。

誰だって抱くと思う。
自分には隠れた才能があるかもとか、いつかはチャンスが巡ってくるかもとか。
誰かに出来て、なんで自分には出来ないんだって。

たとえ幻影であっても、それは簡単に人の隙につけ入る。
万能感を経験したことがない人。昔抱いたが捨て去ってしまった人。未知への憧れ。手放さざるを得なかったものへの執念。

なにもネットに限ったことでもない。
職場で上位の役職を得たり、クラス中が怖気ずくようないじめっ子になったり。

注目されると確かに気持ちがいいかもしれない。けど、やりたくもないことで注目されて何になる。
それで得られた注目は何をもたらす。

ただ過激なだけで好きでもないことなんて、ずっと続くわけがない。

「何者か」である人たちは、好きなことを続けた人じゃないか?
好きなことを続けてたら、ふと気付いた時に人より秀でてると言われだした。
人より秀でた何かがあるから、そこに人は惹かれて注目される。

そうやって注目されたって何が得られる。チヤホヤされる事の気持ち良さはあるかもしれない。でも少なくとも万能感なんてものはない。

そして人気とか注目なんてもんも、比べる対象があって初めて成立するもんで、一度得たら手放さなくていいものじゃない。

そんな不確かなものだからこそ「誰でも」っていう謳い文句が通用するのかもしれない。

そんな不確かで実体のない、ちょっと分からないもんのために「やりたくないこと」をやるなんて馬鹿らしいじゃないか。

人気や注目、あるいは「何者かである」っていう万能感。
広大なネットは、それを現実以上に薄れさせ、現実以上に肥大化して魅せる。
そういう世界なんだと思った。