金田んち

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12月の温かな夜

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【第2回】短編小説の集いのお知らせと募集要項 - 短編小説の集い「のべらっくす」

「はぁ、週の半ばってなんでこんなに辛いんだろう。毎週水曜日も休みで、週休3日になってもいいと思うんだけどなぁ」

そう呟きながら手帳のスケジュールを眺めているのは原口沙織。入社4年目になる23歳のOLである。
「来週、再来週はきっついなぁ」
朝いそいで詰めた弁当の傍ら、手帳のスケジュールには『忘年会』の文字ばかりが詰まっている。

今日は12月3日の水曜日。
来週から始まる怒涛の忘年会ラッシュを控えた休肝週刊である。来週からは会社全体の忘年会に部の忘年会、課の忘年会に係の忘年会、有志とは名ばかりの同調圧力の強い仲良しの同僚同士での忘年会。
今年で4年目になる忘年会の連続に、沙織は嫌気がさしてきていて「そんなに忘れたらみんな赤ちゃんにもどっちゃうよ」と可笑しな愚痴を呟いた。


「おい」
ぽんと肩を叩かれた沙織は気だるそうに振り返った。
「なにぃ?」
声の主は山田直哉。直哉は同い年だが就職は沙織より1年遅く、仕事の経験年数からいえば後輩にあたるが、同い年ということでフランクに話の出来る数少ない同僚である。
入社当時から仕事は捌けていたし、クールな目と物怖じしない振る舞いが先輩のようにも思える存在だった。ただ、愛想がないので初めて会った人からは十中八九怖がられる。
「23日、貴彦とデートの約束あるの?」
沙織は直哉に頭が上がらない。それは、沙織の彼氏である貴彦を紹介したのがこの直哉だからだ。
「ないよ、年末が近いから忙しいんじゃないの?」
焦りと寂しさが入り混じったような、少しムスッとした口調で沙織は答えた。貴彦は、直哉と小学生の頃からの親友で、板前として働いている職人だ。年末が近づくその時期は、毎年お節の準備で忙しいのだ。
「じゃあさ、ちょっとつき合ってよ。彼女とクリスマスに行きたい店があるんだけど、事前に見ておきたくて。」
沙織は、こいつイヤミか!?デリカシーないやつ。貴彦といい直哉といい、女心がちっともわかってない、と思い
「一人で行けばいいじゃん」
と膨れっ面で投げ捨てるような返事を返した。
「そういう店に男一人で行けるわけないだろ、周りはカップルだらけなんだぞ」
沙織の感情はお構いなしに、平然とした態度を崩さない直哉。沙織は直哉からの頼みを断ることも考えたが、貴彦との仲を取り持ってもらったことだけでなく、喧嘩の度に仲裁をしてもらっている。
2人だけで話すと意見のかぶせ合いになりがちなのだが、直哉が喧嘩の仲裁に入ると、まるで会議の進行役のように冷静にお互いの意見を引き出してくれるため、意見の相違が見えやすく、仲直りがスムーズなのだ。
沙織は常々恩返しをしたいと感じていたが、何せプライベートも仕事も平然とこなしてしまう直哉なので、そのチャンスが訪れる機会がなかった。
「わかった、いいよ。真帆ちゃんに喜んでもらえるといいね。」
半ば諦めのような返事を直哉に返すと
「んー…真帆じゃなくて、ショウちゃんだけどね」
「えっ!?いつ新しい彼女に!?どんな人!?」
「うーん、年上の人・・かな」
とだけ言い残し、くしゃっと屈託のない笑顔を向け歩を進めている直哉。職場のみんなにもその笑顔で接したら良いのに。まったく掴みどころのない人だ。

『デート』。『忘年会』しかなかった沙織のスケジュール帳に12月23日の予定が入った。


しばらくして
「原口さん」
沙織に声をかけたのは後輩の結城。
「今月23日、若手の忘年会やるんですけど予定が空いてれば来ませんか?」
なんでみんな23日を狙うんだろうか
「ごめん、その日はちょっと」
結城は悪戯な目つきで
「あ、彼氏さんですか?山田さんはともかく、原口さんが欠席なんて物足りないなぁ。次なんか企画したらまた誘いますね。」
直哉とは対照的に、ややおっちょこちょいだが愛想とノリの良い沙織は人気者だ。直哉も断ったの?と沙織が結城に訊ねたところ
「はい。昼休み前に誘ったら、無理って即答でした。もっと打ち解けてくれても良いと思いません?」
沙織と貴彦と直哉という組み合わせで何度も遊んだことのある沙織は、プライベートでは愛想の良い直哉を知っているため、愛想を家に忘れてきてるんだよ、と言いたくなったが
「そうだね」
とだけ返しておいた。直哉のことだ、なにか意図があってのことなのだろう、という考えが沙織の言葉を堰き止めた。


貴彦の仕事は朝が早く夜遅いため、2人は貴彦が休みの日くらいしかまともにコミュニケーションをとることがない。元来寂しがりな性格に加え、付き合いが長くなり貴彦との結婚を意識しだした沙織が貴彦に同棲生活を提案し、実際に2人で暮らしだしてから既に1年以上になる。
友人の結婚式に呼ばれる度、その幸せそうな夫婦の姿に焦りを感じずにいられなかったのは、沙織である。

久々に休みが合った沙織と貴彦は、貴彦の車で寺院デートに行った。その車中
「ねぇ貴彦、なんであんたみんなの前じゃテンション高くて面白いのに、私と二人きりになるとテンション下がるわけ?」
久々のデートにも関わらず、突然愚痴る沙織。
「ん?四六時中テンション高かったらただの頭おかしい奴じゃん」
正論である。
「はぁ?それになんなのその髪型」
このごろの沙織は、自分の結婚意欲に反して、煮え切らない態度の貴彦に苛立ちを覚えていた。
貴彦が大勢の前と自分だけの前で態度を変えることは以前から知っていた。むしろ貴彦の言うように、大勢の前で見せる弾けた態度で常に接してこられたらたまったものではない。場によって自分を使い分けられる、そんな貴彦に好感を抱いていたはずなのに…
曲がったことが許せず、沙織の友達の浮気にまで口出ししてしまうし、今時結婚も決まってないのに親に挨拶させろと言ってくるような、生きる化石のような実直さにも好意を抱いていたはずなのに…

『結婚』を意識しているのが自分だけだと感じると、焦りからつい粗探しをしてしまう。本当は好きな部分なのに、どうしたら『結婚』に意識が向くのか分からない貴彦に対し、ついつい八つ当たりを繰り返してしまう。
沙織はそんな自分に嫌気がさし、苛立ちや焦りは増す一方だった。

12月23日。

先週までの2週間に及ぶ『忘年会ラッシュ』を今年も無事完走し、さらには年末までに済ませなければいけない仕事もだいたい片付いた。今日は『デート』の予定があるものの、実態は直哉の付き添い。しかも普段食べないようなレストランで奢ってもらえるとのことで、沙織は少し上機嫌だった。
「直哉。今日はあんたの奢りって忘れてないよね?」
出勤早々、悪戯な笑顔で直哉に詰めよる沙織。
「忘れてないけど・・」
「けど?」
「いや、まぁ覚えてるよ」
納得のいかない表情で、書類に引きずられるように打ち合わせに行ってしまった直哉。
「自分で誘ったくせに、まったく。」
直哉の返事に納得がいかないのは沙織である。

昼休みのチャイムと同時に、直哉のもとに重い足取りで、しかし照れた表情で歩いてきたのは沙織だ。直哉の元につくとパチンと掌を合わせ
「ごめん!今日の予定、キャンセルして良いかな?貴彦から誘われちゃって。キャンセル料は払うから」
怒られるかなぁ、と心配していた沙織の気持ちに構うことなく
「あぁ、それならしょうがないよ。頑張れよ!キャンセル料もいらないよ」
と、あれだけ強く誘っておいて、なぜかくしゃっと笑ってご飯に行ってしまった直哉。
でも…呆気にとられた沙織は、やっぱりこの人の屈託のない笑顔って、良くわからないと思った。


仕事を終え、貴彦を待つ間に化粧を直す沙織。デートの誘いを受けて浮かれはしたが、最近のデートは必ず険悪なムードになっていることがふと頭を過り、アイラインを引き直していた手が止まり、冬の冷たい空気がすっと浮かれ気分を攫った。はぁ、と溜息をついた時、沙織の体はブルっと震えた。「寒っ」

貴彦が予約していたのは、市内を一望出来る高台のレストラン。貴彦は下戸のため、交通の便が悪い場所でのデートも問題ない。酒好きの沙織にはとてもありがたい存在だ。

この日はほとんどクリスマスと変わらない日付であること、これまで見たこともない綺麗な夜景、そして居酒屋とは違う洒落たレストランという非日常空間に、沙織の普段の焦りや苛立ちは入店拒否された。

沙織はあまり食が太い方ではなかったが、焦りというアクを取り除いた料理や酒が実に美味く感じられ、デザートを食べる前に満足した。目の前に置かれたケーキを
「貴彦、これ食べてイイよ。甘いもの好きだったよね」
微笑む沙織に
「ダメダメ、食え、吐いてでも食え。絶対うめーから。これ食わせるためにこの店にしたんだから」
沙織には普通のケーキに見えたが、予約した貴彦が必死の形相で勧めている。そんなにオススメするなら、最初に出してくれたら良かったのに。
「分かった、じゃあ一口だけね。残りは貴彦が食べて」
渋々ながら貴彦の勧めを受けることに
「なら俺に『あーん』させてくれ!それくらいイイよな?」
え、こんな所で⁈と沙織が周りを見渡すと、何組かは照れ臭そうに『あーん』をしていた。
「あまり大きくしないでね」
と言う沙織の恥ずかしさと不安の入り混じった表情を見ることなく、貴彦はスプーンでケーキを掬うことに集中している。
料理人なのに、スプーン遣いは不器用なのかな。沙織は可愛いと言わんばかりに貴彦を眺めた。
「ほら、あーん」
貴彦がスプーンに盛ったケーキは、なんかぐちゃぐちゃ。しかも、少しデカい。
「もう!」
キッと睨み、ヤケになってケーキを頬張る沙織。


カッ‼︎
「何これ⁉︎」
思いもよらない硬さに、ハンカチで口を覆うことも忘れ異物を取り出す沙織。
えっ・・・
・・・
・・・
「俺と結婚してください!」

沙織は今すぐ『はい!』と答えたいのに言葉が出てこない。ケーキが言葉を堰き止めているんじゃない。気持ちが、言葉を塞いでいる。
気持ちは食道から涙腺まで蔓延し、出したいはずの『はい!』の代わりに涙を押し出す。どんどん涙が溢れてくる。コクリ、コクリ、と頷く沙織の肩に手を掛け
「行こっか」
との申し出に、ついていきます!と言わんばかりに寄り添う沙織。


しばらくすると涙が落ち着き、レストランの駐車場に停めた車の助手席から眺めていた夜景も、くっきりと見えるようになった。
「ちょっと外出て見る?」
と貴彦が言うので
「うん」
と頷く沙織。

車に乗っている時は気づかなかったが、ここから見えるものって夜景だけじゃないんだ。
雲ひとつない、満天の星空。
放射冷却で冷え込んでいるはずなのに沙織は、温かい、そう感じた。

「あ、ちょっと直哉に報告して良い?」
と貴彦。
「報告?何の?」
「あぁ、今日ここでどっきりプロポーズすること事前に話してた」
「えっ⁉︎いつ⁉︎」
「今月初めくらいかな、とりあえず電話するわ」
状況が上手く整理出来ていない沙織を横目に報告の電話を始める貴彦。

一通りの報告を終えたらしい貴彦の声が沙織に聞こえた
「お前また『勝野』にいるの⁉︎好きだね〜。まぁお前も真帆ちゃんと仲良くな!じゃあ、また」
『勝野』とは、貴彦と直哉がよく行く小汚い居酒屋だ。電話を終えた貴彦に
「そういえば直哉、ショウちゃんっていう年上の新しい彼女が出来たって言ってたよ?真帆ちゃんの話、まずかったんじゃない?」
心配する沙織をよそに
「んなわけないじゃん。ショウちゃんって、『勝野』のママの婆さんのことじゃん。あいつ、完全にロリコンだぞ。年上の彼女なんてありえねー」
まるで自分のことのような自信はどこから生まれるのだろう。

そっか・・・じゃああの人、最初から全部分かってて騙してたんだ。もしかしてあの人が職場で愛想悪いのって、そういうことなのかな。

沙織は手帳を取り出し、『デート』の予定を『記念日』に書き換えた。