金田んち

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違の血

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【第7回】短編小説の集いのお知らせと募集要項 - 短編小説の集い「のべらっくす」

麻美と大将の夫婦生活は決して華やかではないが、当人達も側から見ても仲睦まじく幸せなものだった。ただひとつを除いては。

市役所に同期入社した二人は、入社間もなく意気投合し、3年の交際期間を経て結婚した。結婚後2年が過ぎたころから、二人の結婚を祝福してくれた先輩などから「子どもは早い方が良い」というアドバイスめいた言葉をかけられるようになった。

麻美への言葉は主に、既に子どもを自立させたおばちゃんの先輩職員からのものであって、「子育ては想像以上に気力も体力も消耗するもの」だという理由からだった。

大将への言葉も同じく子供を自立させたおっさんの先輩職員からのものであったが、こちらは、定年が近づくと子育てにかかるお金を稼ぐのに焦りを感じだすというものであって、体力面については、子育ては妻に任せっきりで分からないとのことだった。

二人とも「そうですね、参考にさせていただきます」とだけ答えていた。

麻美と大将は将来の家庭像について理想を具体化すべく、交際中からお互いの抽象像を重ねあわせていた。子どもは産むのか産まないのか、産むとすれば何人産むのか、家は賃貸か購入か、親との同居はどうするのか、仕事は夫婦共働きのままにするのかなどについて。そして二人の望んだ将来には、子どもがいた。

なので、周りからのアドバイスを受ける必要もなく、二人は早々から行為には及んでいた。しかし、1年が経っても2年が経っても出来ない。「不妊」なのだ。

毎月生理がくる度、麻美の気持ちの中で、子どもが出来ないことに対する焦りが募った。そして大将に対し、
「ごめんなさい」
と言うようになった。
大将は麻美の謝罪に対し、
「麻美が謝ることじゃないよ」
と諭していた。しかし、友達の出産を知るのが辛いという理由でフェイスブックを辞めたりと、焦りと罪悪感から摩耗していた糸を切ったのは、先輩からの度重なるアドバイスだった。

「大将、ごめん。私もうあの職場に行けない。」
麻美からその言葉をかけられた時、大将は反対意見を返すことは出来なかった。「不妊です」と言えば辞めずに済む。そんな簡単な問題ではない。たとえアドバイスのつもりでかける言葉も、場合によっては大きな圧力となるのだ。

そして麻美は職場を辞めた。時期的には不自然ではあったが、大義名分は寿退社ということにした。その夜、麻美が
「二人でも良いかな...ごめんね、こんな私で...別れたい?」
と大将に言ったので
「子どもは麻美と一緒に暮らすなら欲しいけど、それが大事なんじゃない。麻美と一緒なのが幸せなんだから。」
と言って抱き寄せ、頭を撫でた。
「ありがとう。でも私、もうちょっと頑張ってみたい。」
と麻美は答えた。そして、不妊治療に踏み切ることになった。

麻美は職場を辞めて数か月は塞ぎ込んでいたものの、隣市への不妊治療の通院は欠かすことはなく、生理の日を除いては麻美の気持ちの自由度が増したようだった。躊躇いがちだった外出も、
「今度の休み買い物に行きたい」
と麻美から大将を誘うようになったり、
「もし子どもが出来ちゃったら出来なくなるから」
と、積極的に外食や小旅行の計画を立てだしもした。

不妊治療を始めて1年が経過した頃だった。
「ねー大将。新しいドレス買いたいから、今度一緒に選んで。」
「ドレス?何に使うの?」
「結婚式に招待されたんだけど、何年も行ってなかったから新しいデザインのものが欲しくて」
大将と過ごす日々が心地良いためか、不妊からくる麻美への重圧は、友人から招待された結婚式に出席できるほどに薄まっていた。

この麻美の復調は大将の頬を緩ませ、麻美が手元で開いている招待状を一緒になって覗き込み、
「おっこの会場、綺麗な夜景が見れるって有名なとこじゃん。ちゃんと目立つように派手目なドレス選ばないとね。」
「なんでよ。私が目立ってどうすんの。誰かに狙われちゃうよ?」
「大丈夫。俺が盾になるから。あ、でもその日俺出張だから盾になれねぇ。やっぱ超地味なやつ選ぼうよ。」
「はいはい。派手でも地味でもない普通のもの選ぶから心配しないで。」
と冗談を言いあった。

麻美の友人の結婚式当日の朝、朝食を済ませた大将が「じゃあ俺行くから、気をつけてな。何かあったらすぐ電話してくれよ。」と言った。
「うん、ありがと。助けて王子様、ってすぐに電話するね。」
と、麻美に対する大将の気遣いがくすぐったく、「いってらっしゃい」の代わりにおどけた返事で大将を送り出した。

1泊の出張業務を終え、夕方帰路についた大将の目尻は下がり、足取りは軽かった。家に帰ると、昨日家から出る時に見た麻美の表情はさらに明るくなっていて、互いに冗談を絡めて土産話を交わす姿を想像していたからだ。

しかし、「ただいま!」の掛け声とともに玄関の扉を勢いよく開くと、玄関だけにしか電気が点っていない。足元には脱ぎ散らかわれたハイヒールが転がり、気持ちばかりの廊下には先日選んだドレスが乱暴に捨ててある。

LDKの扉を開けると、ダイニングテーブルに突っ伏し扉の方を向いている麻美の顔は酷くむくみ、髪も乱れていた。昨日確かに存在した表情を結婚式場に落としてきてしまったような変わりように、大将はしばらく身体の自由を失った。

「やっぱり、地味なドレスが良かったみたい。」
麻美が発した言葉で、大将は自分が身体の自由を失っていたことに気付いた。そしてやっと口を開いた
「どうしたの」
「なんで...なんで私ばっかりなんだろう...なにか悪いことしたのかな...ねぇ!私何かした!?ねぇ大将!わたし、もう死にたいぃぃぃ!」
叫び、留める術なく溢れる嗚咽と滂沱の涙。

大将は麻美の嗚咽と涙の波間のタイミングを計りながら、少しずつ事情を聞いた。話を繋ぎ合わせると、披露宴の後、一緒に招待されていた友人たちと盛り上がり2次会に参加し、一人帰路についたところを覆面の2人組に襲われたとのことだった。

「くそっ!!なんでこうなるんだよ!!がぁぁぁぁぁ!ぶっ殺すぞ!!!」
事情を聞き煮えたぎる大将に怯える麻美。
「ごめん。もう怒らないで。私が悪いの。結婚式になんて行かなかったらこんなことにならなかったのに。ごめんなさい。」
「悪いのは麻美じゃない、そいつらなんだよ。俺もついカっとなって、ごめん。とりあえず、警察に行こう。」
「それは...今は話したくない。」
警察に相談すればその時の状況を細部まで思い出し話さなければいけなくなる。2人組に対する怒りなどよりも、呼び起さなければならない記憶と再び向き合う方が、麻美の中では怖いのだと言う。

麻美の表情に晴れ間が差すことがないまま2か月ほどが過ぎた。その間、麻美は一切外出できず、また、大将との営みも一切なかった。大将は麻美に対し極力自然に、しかし笑顔でいれるよう努めた。

大将の気持ちを察し、少しずつでも前に進もうと、麻美は2か月ぶりに病院を訪れていた。出来るか出来ないかに関わらず、麻美が行っているのはタイミング療法だったため、いつがチャンスなのかを知っておくことはマイナスではないからだ。

慣れた検査を済ませ、担当医から営みの日の指導を受けるため、麻美の名前が呼ばれた。診療室に入り医師の前に腰かけると、
「おめでとうございます」
と担当医は言った。

その言葉をすぐに理解した麻美の五感は崩壊した。担当医の声は水中で音を聞くように、目には濃く靄がかかったように、手足は立っているのか座っているのかまるで分からなくなった。少しずつでも前に進もうと前を照らしていた微弱な光は消え、途轍もなく大きなライトが麻美から後ろだけを照らした。

治療を終え、麻美はふらつくように役所へ向かった。頭では何も考えられなかったが、体が勝手にそうしていた。

その夜、帰宅した大将に麻美は書類を手渡そうとした。それを見た大将は、
「離婚、届け?なんで?」
離婚届けを差し出される理由が掴めない大将がそうを聞くと、
「一緒にいれなくなった」
目を合せることもなく無表情でそれだけの言葉を発する麻美。

「もしかして、妊娠が原因?」
麻美は大将の言葉にぎょっとした。咄嗟に、取り繕うように視線を逸らした。離婚さえしてしまえば大将を失望させることがなかった、大将が知らなくて良い現実。
「そんなわけないじゃん」
麻美は強く唇を噛みながら返した。
「帰り道で先生に言われたんだよ。おめでとうって」
麻美は諦めたように深いため息をつき、決心したようにグッと唇を噛んでから口を開けた。
「そう。私、この子を産まなかったら次はもうないかもしれない。だから、ごめん...分かって」
大将の目はギュッと麻美を捕えている。
「全然分からない。なんでそれで離婚になるんだよ。」
「大将とは血が繋がってない、襲われた時の子なの。全部私が悪いの。私のワガママでこの子を産みたい。だから、ごめん、ごめん」
ダイニングテーブルには大将に手渡そうとしていた離婚届。
「警察に行ってくる」
大将の静かな声には、それまで麻美が感じたこともない深い怒りが沈んでいるようだった。
「何するの?私を訴えるの?」
「麻美をやった奴らを探してもらう」
「なんで?」
「いるんだろ、血が。俺と麻美がこれからも一緒に過ごすためにはいるんだろ。俺たちの未来にそいつらの血がいるんなら、俺の血全部抜いてそいつらの血を入れるしかないだろうが」
「大将、何言ってんの?」
「だから、なんで別れなきゃいけないのかが分からないって言ってるんだよ」
「産んで良いの?」
「当たり前だろ」
「血が繋がってなくても良いの?こんな私のままで良いの?」
「麻美じゃなきゃダメなんだよ。麻美と一緒だから、産まれてくる子どもも幸せだって感じてくれる瞬間がある気がするんだよ。辛いばっかじゃないって思ってもらえそうな気がするんだよ。」
大将は止まりそうもない麻美の涙を無理に止めようとはしない。しばらく喋れそうにない麻美を、背中から包んだ。

「これ、濡れて使えなくなっちゃったみたい」
しばらくして落ち着いた麻美は、大将の顔を覗き込みながらおどけた。

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