寺地はるなさんのビオレタを読みました
読み始めてすぐ、周りの音が聞こえなくなった。
山村由香さんが帯に記した本の感想を見て、いったいどんな物語なんだ、どんな言葉が綴られてるんだ、読みたい、絶対読みたい!と思って、昼休みに弁当をガッついて本屋に走った。今までの人生でこれほどワクワクして買いに走った本があっただろうか、たぶんない。ワクワクが重すぎたのか単に急いで飯を食ったせいなのか、本屋の一番奥の棚に並べられた目的の本を手にとった時には、お腹がキューキュー痛んだのだった。
外は小雨が降っていた。さっきは物凄い速度で走ったから避けられた雨も、腹痛で鈍速になったら避けられない。本だけは濡れないように庇って職場に戻った。
買った本はビオレ夕。あのクスクス笑ってしまうブログを書いてる寺地はるなさんの小説。
貨屋「ビオレタ」の売り物は「棺桶」とよばれる美しい箱。
行き場のない思い出や記憶をいれる「棺桶」をめぐる物語。
あなたなら、何を入れますか?
俺なら「ビオレタ」で買った「棺桶」に何を入れるだろう。行き場のない何か。
俺の都合だけで急に別れを切り出して傷つけてしまった元カノと出会った思い出?いや、彼女はまだ生きてるから謝り倒せば済むことだ。
高校の頃、予備のラケットを準備してなかったせいで負けてしまったダブルスのテニス大会。テニスボールでも入れる?いやいや、その時の記憶は酒の席でのネタとして、その時のパートナーに重宝されてる。むしろ。嫌味のように。
うーん、考えても今の俺には棺桶に入れるもの思いつかない。なんか寂しい。
俺の話はさておいて、このお話の主人公「田中妙」には「棺桶」に入れる何かがあるのか、それは書かない。いや、書けないのだった。
婚約者から突然別れを告げられた田中妙は、 道端で大泣きしていたところを拾ってくれた 菫さんが営む雑貨屋「ビオレタ」で働くことになる。
そこは「棺桶」なる美しい箱を売る、少々風変わりな店。
何事にも自信を持てなかった妙だが、 ビオレタでの出会いを通し、少しずつ変わりはじめる。
というのがビオレタのストーリー。
物語自体は凄く現実的。物語だからといって時空間を移動することはないし、コナン君的な事件もない。無駄にドラマティックでもエロティッシュでもアイスピックでもない。限りなく現実の世界に近いんだけれど、その現実世界は寺地はるなという人にはこんな風に見えてるんだ、ほぉ、ほぉ、はぁっ⁈と、最初から最後まで飽きる事なく寺地さんの世界が渦巻く。
物語の中盤?後半?に菫の息子が反抗期のため口にした「好きで産まれてきたわけじゃない」みたいな台詞に対して、味噌汁と思って飛びついて飲んだらトロピカルな味だったみたいな、戦意喪失せざるを得ない切り返しは寺地さんらしいな、と思った。
それは寺地さんの持つ感性だとかユーモアが引き出してるものだと思うけど、この物語からはもっと別の何かを感じた。
何だろう。
たぶんこの物語が限りなく現実だから、友人関係、恋愛関係、仕事や家族関係、色んな人や環境の中で、何か不揃いなピースを各々の登場人物が手探りで見つけて、みんな不器用に各々の形に繋げていく。そして、その人にもはっきりとは分からない、でも何らかの確かな形になる。そんなあるようでないような、ないようであるようなものが幸せなんじゃないかって感じた。これを信じなさいとは言わないし、これが正しいとも言わない。そんな押しつけがましくない物語。
いつブログで読んだものか記憶が定かじゃないけど、寺地さんのブログ記事をメモってるものがある。寺地さんが、なぜ物語を書くのかについて書いてたもの。
私はどうして物語を書きたいんやろう、とこれまでずっと考えていたんですけどわからなくて、ただやっぱり誰のためかと問われたら、自分のためだと答えます。現在の自分ではなくて、過去の自分です。子どもの頃ぜんぜん学校に馴染めなくて、毎日のように泣かされて帰ってきて、でも泣いたことが親にばれると「情けない」って怒られるので、目の赤みがひくまでピアノの裏に隠れていた頃の自分です。壁とピアノ(アップライトの)のあいだに60センチぐらいの隙間があったので、入り口に大きめの段ボール箱を置くとかっこうの隠れ場所になったのですね。
ピアノの裏は決して広くはないので、そこでできることは限られていて、だからいつも図書室で借りた本を読んでいました。その頃の私は、大人になっても自分の身に素敵なことなんか、なにひとつ起こらないのだろう、と思っていました。
さっき過去の自分、と書きましたが、私はなんとなくあのピアノの裏に隠れている子どもが今もどこかにいるような気がしていて、だからあの子どもに伝えたいのだと思います。いつかはそこから出てこなくてはならないんだよ、ということを。あの子どもが架空の世界に逃げこむためではなく、胸に携えて生きていくための物語を書きたくて、いつも必死で言葉を探しているのだと思います。
あ、ストーカーじゃないですからね、俺。この記事を読んでから、寺地さの書く物語ってどんなものなんだろうって、ずっと興味があった。辛さから逃がすために、生身の人間に決して危害が及ばない物語の世界の中に連れ込むんじゃなく、辛くても生きていかなきゃいけない世界で携えられるような物語って、いったいどんな話なんだろうって。
今回ビオレタを読んで、寺地さんは絶対人が痛む部分を的確に突けると思った。でも突くことは絶対しない。その代わり、その部分をくすぐってくる。くすぐり方を知ってる。そんな優しい物語。
小説を読み終わって、今までよりも寺地さんに興味が湧いて調べたらこんなのを見つけた。
第四回ポプラ社小説新人賞受賞『ビオレタ』刊行記念 | 寺地はるなさんインタビュー | WEB asta(ウェブアスタ)
リンク先に飛ぶと、お姉さんとおばさんの中間くらいのキレイ目な人の画像が現れた。これはインタビュアーの人だ。だって、寺地さんは息子のおもちくんから「肉」とか言われてるから、もっと「ふくよか」とか「健やか」というように形容される見た目のはずだから。
俺はインタビュアーじゃなくて寺地さんを見たくて読み進めた。
最後にまた同じ人の写真が、今度は緊張を纏った笑顔の写真が現れた。
そうか、そうか、そうだったのか。間違いない。俺は騙されたのだった。寺地さんとおもちくんにしてやられた。これは情報戦略だ。IT革命だ。防ぎようのないウィルスかなんかだ。もう「脱いだら肉すごい」なんて言い訳は通用しない。
よし、分かった。決めた。キミに決めた!金輪際ビオレなんて買うもんか!メリットにしてやるんだからららら〜
でもビオレタはまた読ませてください。
「嫁」という言葉が嫌いになれなかった
お久しぶりです。
前回ブログを更新してから約1か月ぶりの更新となりました。もっと更新頻度を上げたいところですが、このところ仕事が立て込んでいてなかなか時間がとれずにいます。今年の目標として掲げていた「のべらっくす」も結局5月分はなにも書かずに〆切が過ぎてしまいました。
前置きはこれくらいにして、購読しているいくつかのブログで
「嫁」って言葉がクソ嫌いで天地がひっくり返っても使わない理由 | ヨッセンス
について色々書かれた記事を読みましたので、今日は時間もあるし何か書こうと思います。
リンク先の記事で、冒頭では「「嫁」って言葉を使っている人に「やめろ!」って言うつもりはありません」と書かれていますが、最後には「この記事を読んで「オレも使うのやめよう・・・」って思ってくれる人がいたら嬉しい」と書かれています。
リンク先の記事を書いた動機として、単に俺は「嫁」という言葉が嫌いだという独り言を書きたかったというものよりも、周りの多くの人が使っている「嫁」に対して、俺は何となく女性を見下したニュアンスを感じてしまうのでやめてもらいたいから書いた、というほうが自然な気がします。なので、冒頭の文章は今日はいい天気ですねくらいに、記事全体の中では意味を持たない枕詞みたいなものなんじゃないかと思いました。
筆者のヨスさんはその何となく嫌いな「嫁」という言葉を使う人を減らしたいわけなので、記事を読んだ人も「嫁」という言葉が嫌いになるように「私が「嫁」という言葉を嫌う理由」としていくつか書かれています。そしてその理由が収束する先は「女性を見下しているように感じる」というところです。
あくまでヨスさんが「感じる」というところを強調されているので、おそらくは「嫁」という言葉を嫌う理由づけの部分について、何も調べることなくただ自分がそう感じているだけなんだよと言うための保険なのかなと思いました。
さて、「嫁」という漢字の成り立ちについて嫌いな理由にあげられていますが、この漢字の成り立ちは夫となる男性の家に行く女性を表したもので、家庭内での役割分担を表したものではありません。ヨスさんがどこにお住まいかは知りませんが、九州は梅雨入りしたみたいですし、もしかするとプンプン臭ってくるのは高い湿度のせいで発生した雑草のムッとする匂いとかじゃないでしょうか。
それから純粋に配偶者を指す言葉じゃないというお話しですが、確かに家父長制が当たり前だった時代では戸主の妻を主婦、息子の妻を嫁というような使い分けをしていたみたいなので、純粋に配偶者というよりは、戸主の視点としての誰なのかというような意味合いなんだと思います。なのでそこに職業的な意味合いは含まれていないと思いますし、「嫁」という言葉で表現される職業って何のことでしょうか。むしろお手伝いさんとかは「婦」が使われると思うのですが。
それと、時代錯誤と見下しているようなニュアンスを感じるということですが、それは過去の制度であった家父長制をどのように捉えるのかという問題なんだと思います。家父長制度の下では戸主に絶対的権力があったので、それ以外のたとえば主婦でも嫁でも息子でも立場としては下ということになります。それに、その一家の中で主に家事を担当し家計を切り盛りすることにおいてはベテランの主婦(戸主の妻)と比べても、新しくそういう役割を担うことになる嫁は弟子みたいなもので、格としては下です。
ただその格付けも、既に制度のない現在では意味がありません。配偶者を表す言葉の中から「嫁」を使う多くの人だって、単に選択肢のひとつに「嫁」があったから使うだけに過ぎないと思いますし、その意味としては自分にとっての配偶者というだけだと思います。
しかし、ヨスさんはその「嫁」から見下したようなニュアンスを感じたり、言葉そのものに時代錯誤感を感じられています。それはおそらく廃止された制度の残骸として、その風習や考え方だけが残った環境の中で育ったからじゃないかなと思います。
よく女は結婚したら籍を抜けなきゃいけないと言いますが、今の戸籍の制度では男も女も親の籍を抜けて、2人のうちどちらかを筆頭者にした新しい戸籍に登録されるので意味が分かりません。古い戸籍の制度は廃止されましたが、その制度の下で暮らした人たちの中には、感覚としての制度だけが残っているんだと思います。もちろん制度というものが作られた背景として、その時代を生活している人たちの生活があるわけですから、制度の廃止とともに全ての人の中から昔の感覚がそうやすやすと抜けないのは仕方ないとは思いますけど。
言葉は時代の流れの中で消え去るものもありますし、元の用法から意味合いを変えるものもあります。生息環境が変化する中で生き物が滅びたり姿かたちを変えたりするようなものだと思います。
今は単に「配偶者」を指す言葉としての使われ方が主流になった「嫁」から、時代錯誤だとか見下したようなニュアンスを受けるのって、ヨスさんの中に過去の家父長制度下での格付けみたいなものが根を張ってるせいで「嫁」の用法の変化について行けず、ヨスさん自身が感覚的時代錯誤なんじゃないかと俺は感じました。
あ、記事わ読んでも「嫁」を使いたくないとは思えなかったのでこれからも使います。
あと、全然関係ないですけど、この前二日酔いで飲んだ缶コーヒーは新聞紙を煮詰めたような味でした。あれは二日酔いで飲まない方が良いと思います。
結果にライザップ
同期の結婚披露宴に招待されたので行ってきた。朝は小雨がぱらついてて、せっかくの晴れ舞台なのにおてんとさまも酷なことするよなぁと思ってたけど、昼ごろからカラっと晴れてきて、披露宴が始まる15時には汗ばむくらいの陽気になった。
俺が知ってるのは新郎だけだけど、いつも人のこと気にかけてる良いやつなので、やっぱり天も結婚を祝ってやりたくなったんだろうと思う。
これまでにも何度か結婚式に招待されたことがあるけど、今日の会場はその中でも一番気に入った。
まず披露宴会場に入ってすぐ、たいていの会場では新郎新婦の入場までご歓談くださいみたいになって、新郎新婦の入場後、新郎の挨拶、新郎新婦それぞれの上司の挨拶、それから乾杯って流れだと思うけど、このものの20分くらいが長いこと長いこと。
喋ってる本人は面白いこと言ってるつもりなんだろうけど、だいたい新郎新婦と上司の馴れ初めとかについての話だからなんのこっちゃ分からんわってなる。
仮にジョーク交じりで話しても、まだまだ温まってない場の雰囲気だから上手く笑えないで失笑ってのが関の山。
でも今日の会場は、新郎新婦の入場前から、テーブルには前菜と各々好きなタイミングで飲み始めて良いように瓶ビールがセットされてた。
各テーブルにはだいたい知った顔のメンバーが座るので、各々乾杯して、ちょうど会場全体の空気が緩んだくらいの頃に新郎新婦の入場になった。
会場全体の空気が既に緩くなってるから、入場してくる新郎新婦の表情も緩やかだし、ふつうなら長ったらしく感じるだけの乾杯までの話もそんなに苦痛に感じることはなかった。
瓶ビールや前菜を出すタイミングが少し違うだけで、苦痛に感じていた時間がこれほど変わるもんなんだなって感心した。
次に余興。
余興ってたいがい新郎新婦を含めた身内だけが楽しめるようなものが多い印象なんだけど、今回は新郎新婦どちらがわの余興も会場全体が楽しめるし、全体に対するサプライズで、どちらも動画だったんだけど、完成度が素晴らしすぎた。
まずは新婦の友人がつくったらしい余興の動画。
新郎新婦の共通の趣味はテニスで、テニスをテーマにした動画が流れて、まぁそれだけどもすごいいい出来だなぁって感心するくらいの完成度だったんだけど、最後。
動画の最後に、今をトキメク錦織圭からのメッセージ。
「(新郎)さん、(新婦)さん、ご結婚おめでとうございます。~~」みたいな。
これには会場中がざわめくし、俺もテニスが好きだから興奮して
「やべー!やべー!はぁっ!?まじで!?」
ってなった。
新郎は3度の飯よりテニスが好きみたいなテニスオタクで、今まで行った旅行で一番楽しかったのもテニスの観戦って書いてたくらいで、趣味もそこまで熱中すればとんでもない領域まで行ってしまうんだなって思った。
新婦側と比べると多少見劣りはするけど、新郎側のテニス仲間が作った動画もすごかった。
こっちもテニスといえばスポーツ、スポーツといえば「渇っ」でお馴染みの例の番組をアレンジして作られてた。結婚に対して「あっぱれ」とか。
んで、その合成動画の切り貼りの巧さもさることながら、面白かったのは途中に入れたCM。
披露宴で流す動画にCMいらんやろって感じるだろうけど、そのCMも合成で凄かった。
元CMはライザップだったんだけど、新郎のテニス仲間が5人くらい登場して、本物のCMさながらにみんなライザップしてた。みんなビフォーはぶよぶよの腹で、アフターはシックスパックになってた。
体型のビフォーアフターの後に実績報告みたいに-○kgって出てたけど、平均して10kgはライザップしてて、一番凄い人は16kg痩せてた。
たかが友人の結婚式の余興でよくそこまで出来るよなと思ったけど、そうやって駆り立てるくらい、新郎は友人に対して情があついからこんな凄いことも平気でやれるんだよなって感じた。
ちなみに俺も同じテニス仲間なんだけど、その話がこなかったのは助かったと思った。今でも50kgくらいしかないから、たぶんライザップしてみんなと同じくらい減量したらゾンビになってたと思うから。
んで、最後はクライマックスの新婦の手紙。
なんだけど、その前に複線として、新婦のお色直し中に新郎がお母さんへの手紙を読んでた。
「~~。お母さんの作る手料理をこれからも楽しみにしてます。俺もお母さんに言われるように気をつけるから、お母さんも体に気をつけてください。」
みたいなの。
それからキャンドルサービスとか色々あって、クライマックスの新婦の手紙。
意地っ張りな自分を育ててくれた親への感謝があり、結婚を承諾し温かく迎えてくれた新郎の家族への感謝があり、そして最後。
「お母さん、私に○○家の味を教えてください。」
さりげなく、ほんとに短い言葉なんだけど、俺はこのフレーズに鳥肌がたった。たぶん新郎も両親もゲストも、会場中が、その短い言葉だけでKOされたと思う。
新郎がお母さんに向けた手紙にも「美味しい手料理を食べたい」って書いてあって、新婦が呼んだ手紙には「味を教て」と書いてある。
たぶんお互いがお互いで考えた手紙なのに、共通するものがある。サプライズにサプライズを重ねるようなもの。
結婚式のプランナー達って、感動を作る仕事なんだろうけど、これが仕組まれているとしても凄いなぁって思うし、偶然だとしたらこの夫婦はヤバいと思った。
たた残念なことがひとつ。
新郎の上司らしき人が、たぶん会場の心地よさにも酔ったんだろうけど、酔いつぶれて一人では歩けなくなってた。青ざめた顔で一緒の職場の人に肩を借りて、会場の車椅子で会場を後にして、路上で「次ぎ行く」とかほざいてたけど、仲間に止められてた。でもたぶん最寄り駅のスナックとかに行きそうな感じだったな。
普段から色んなものを溜め込んでるせいか、その人のお腹はパンパンに膨らんでた。
部下の晴れ舞台で醜態をさらして、ほんと、結果にライザップして欲しいと思った。
好きなものを好きでいるために
洗濯終わるまでちょっと時間があるので何か書く。
たとえばですけど。
いや、たとえばでもなんでもないんですけど。
そりゃ小説の世界での人物なので、作者の作り出した世界に縛られ、ストーリーに縛られ、運命さえも縛られるんですけど。
でも美星バリスタも人間だから、ウンコもするしオシッコもする。それは人間だから必然な行為で、悔しいけど恋だってする。
それは仕方ないことだ。
仕方ないとか言うと難しいけど、それはたとえばお菓子のようなもんだ。
自分の選んだお菓子に対してコレは不味いとか、俺の口には合わないと駄々を捏ねるのは間違ってる。
自分の選んだお菓子に対しては自分で責任を持つべきで、だからこれは不味いって言うのは責任転嫁だ。
自分で選んだものが不味いという事実に、自分自身で向き合うならば、責めるべきは間違いなく自分であって、その言葉は「こんな不味いお菓子を手に取った俺死ね」とか、「俺の選択肢クソ滅びろ」とか、自分に向けられるべきだ。
そう。物事の帰結っていうのはかなり単純なもんで、自分で選んだ物事が気に食わなきゃ捨ててしまえばいい。
なにも無理して不味いお菓子を食う必要はない。
さらに、不味いお菓子を作った人に、自分の選択の過ちを八つ当たりする必然もない。
嫌なら食わなきゃいいだけだ。
でも世の中そんなに容易く捨てられるものばかりではない。
じゃあどうするか。
目の前にある不味いお菓子を、自分の味覚や臭覚や視覚を誤魔化して、美味いものとして捉えるというのがひとつの手だ。
これは意外と簡単で、自分自身に催眠をかければいい。
催眠と言うと難しそうだけど、こうやって嘘でも良いから美味い美味い美味い、これは美味いもんなんだ、みたいに書くなり言うなりして自分にを騙し込めば良いだけだ。
圧力が足りなきゃもっと重圧にすればいいし、説得力が足りなきゃ事例を集めりゃいい。ネットはすげーからそんなのは容易いことだ。
つまり自分で自分自身に言葉で呪いをかければ良い。
もう一つは不味いなりの美味みを探求することだ。
俺はカレーが好きなんだけど、職場の食堂のカレーはクソみたいに不味い。
はっきり言って嫌いだ。
しかし俺はカレーが好きだ。
でも食堂で好きなカレーを食うためには、ありのままを受け止めたんじゃあダメだ。
つまりアナユキはそのままでは受け入れられない。違う。
それでも俺は食堂でカレーを食いたい。食いたいからそこで俺が美味いと感じられるようにカレーをアレンジする。
そのためには俺がどんなカレーが好きなのかについて、自問自答しなけりゃいけない。
自分で好きなものを得るためには、自分の好みをしっておかなきゃいけない。
面倒だけど、好きなものを得るっていうのはそういうことだと思う。
極端なはなし、生きるのが辛けりゃ死ねば良い。でも俺は死なない。
それは生き続けるより死が怖いからだ。
でも生きるのは辛い。痛い。絶望もする。でも死にたくない。
ならば、生きてて楽しいと思えるように工夫するしかない。
それは、好きなもの、選択したものを、そうあり続けさせるようなもんで、どんなカレーでも美味く食おうとする所作みたいなもんだと思う。
洗濯機が呼んでるから終わりだ。
違の血
【第7回】短編小説の集いのお知らせと募集要項 - 短編小説の集い「のべらっくす」
麻美と大将の夫婦生活は決して華やかではないが、当人達も側から見ても仲睦まじく幸せなものだった。ただひとつを除いては。
市役所に同期入社した二人は、入社間もなく意気投合し、3年の交際期間を経て結婚した。結婚後2年が過ぎたころから、二人の結婚を祝福してくれた先輩などから「子どもは早い方が良い」というアドバイスめいた言葉をかけられるようになった。
麻美への言葉は主に、既に子どもを自立させたおばちゃんの先輩職員からのものであって、「子育ては想像以上に気力も体力も消耗するもの」だという理由からだった。
大将への言葉も同じく子供を自立させたおっさんの先輩職員からのものであったが、こちらは、定年が近づくと子育てにかかるお金を稼ぐのに焦りを感じだすというものであって、体力面については、子育ては妻に任せっきりで分からないとのことだった。
二人とも「そうですね、参考にさせていただきます」とだけ答えていた。
麻美と大将は将来の家庭像について理想を具体化すべく、交際中からお互いの抽象像を重ねあわせていた。子どもは産むのか産まないのか、産むとすれば何人産むのか、家は賃貸か購入か、親との同居はどうするのか、仕事は夫婦共働きのままにするのかなどについて。そして二人の望んだ将来には、子どもがいた。
なので、周りからのアドバイスを受ける必要もなく、二人は早々から行為には及んでいた。しかし、1年が経っても2年が経っても出来ない。「不妊」なのだ。
毎月生理がくる度、麻美の気持ちの中で、子どもが出来ないことに対する焦りが募った。そして大将に対し、
「ごめんなさい」
と言うようになった。
大将は麻美の謝罪に対し、
「麻美が謝ることじゃないよ」
と諭していた。しかし、友達の出産を知るのが辛いという理由でフェイスブックを辞めたりと、焦りと罪悪感から摩耗していた糸を切ったのは、先輩からの度重なるアドバイスだった。
「大将、ごめん。私もうあの職場に行けない。」
麻美からその言葉をかけられた時、大将は反対意見を返すことは出来なかった。「不妊です」と言えば辞めずに済む。そんな簡単な問題ではない。たとえアドバイスのつもりでかける言葉も、場合によっては大きな圧力となるのだ。
そして麻美は職場を辞めた。時期的には不自然ではあったが、大義名分は寿退社ということにした。その夜、麻美が
「二人でも良いかな...ごめんね、こんな私で...別れたい?」
と大将に言ったので
「子どもは麻美と一緒に暮らすなら欲しいけど、それが大事なんじゃない。麻美と一緒なのが幸せなんだから。」
と言って抱き寄せ、頭を撫でた。
「ありがとう。でも私、もうちょっと頑張ってみたい。」
と麻美は答えた。そして、不妊治療に踏み切ることになった。
麻美は職場を辞めて数か月は塞ぎ込んでいたものの、隣市への不妊治療の通院は欠かすことはなく、生理の日を除いては麻美の気持ちの自由度が増したようだった。躊躇いがちだった外出も、
「今度の休み買い物に行きたい」
と麻美から大将を誘うようになったり、
「もし子どもが出来ちゃったら出来なくなるから」
と、積極的に外食や小旅行の計画を立てだしもした。
不妊治療を始めて1年が経過した頃だった。
「ねー大将。新しいドレス買いたいから、今度一緒に選んで。」
「ドレス?何に使うの?」
「結婚式に招待されたんだけど、何年も行ってなかったから新しいデザインのものが欲しくて」
大将と過ごす日々が心地良いためか、不妊からくる麻美への重圧は、友人から招待された結婚式に出席できるほどに薄まっていた。
この麻美の復調は大将の頬を緩ませ、麻美が手元で開いている招待状を一緒になって覗き込み、
「おっこの会場、綺麗な夜景が見れるって有名なとこじゃん。ちゃんと目立つように派手目なドレス選ばないとね。」
「なんでよ。私が目立ってどうすんの。誰かに狙われちゃうよ?」
「大丈夫。俺が盾になるから。あ、でもその日俺出張だから盾になれねぇ。やっぱ超地味なやつ選ぼうよ。」
「はいはい。派手でも地味でもない普通のもの選ぶから心配しないで。」
と冗談を言いあった。
麻美の友人の結婚式当日の朝、朝食を済ませた大将が「じゃあ俺行くから、気をつけてな。何かあったらすぐ電話してくれよ。」と言った。
「うん、ありがと。助けて王子様、ってすぐに電話するね。」
と、麻美に対する大将の気遣いがくすぐったく、「いってらっしゃい」の代わりにおどけた返事で大将を送り出した。
1泊の出張業務を終え、夕方帰路についた大将の目尻は下がり、足取りは軽かった。家に帰ると、昨日家から出る時に見た麻美の表情はさらに明るくなっていて、互いに冗談を絡めて土産話を交わす姿を想像していたからだ。
しかし、「ただいま!」の掛け声とともに玄関の扉を勢いよく開くと、玄関だけにしか電気が点っていない。足元には脱ぎ散らかわれたハイヒールが転がり、気持ちばかりの廊下には先日選んだドレスが乱暴に捨ててある。
LDKの扉を開けると、ダイニングテーブルに突っ伏し扉の方を向いている麻美の顔は酷くむくみ、髪も乱れていた。昨日確かに存在した表情を結婚式場に落としてきてしまったような変わりように、大将はしばらく身体の自由を失った。
「やっぱり、地味なドレスが良かったみたい。」
麻美が発した言葉で、大将は自分が身体の自由を失っていたことに気付いた。そしてやっと口を開いた
「どうしたの」
「なんで...なんで私ばっかりなんだろう...なにか悪いことしたのかな...ねぇ!私何かした!?ねぇ大将!わたし、もう死にたいぃぃぃ!」
叫び、留める術なく溢れる嗚咽と滂沱の涙。
大将は麻美の嗚咽と涙の波間のタイミングを計りながら、少しずつ事情を聞いた。話を繋ぎ合わせると、披露宴の後、一緒に招待されていた友人たちと盛り上がり2次会に参加し、一人帰路についたところを覆面の2人組に襲われたとのことだった。
「くそっ!!なんでこうなるんだよ!!がぁぁぁぁぁ!ぶっ殺すぞ!!!」
事情を聞き煮えたぎる大将に怯える麻美。
「ごめん。もう怒らないで。私が悪いの。結婚式になんて行かなかったらこんなことにならなかったのに。ごめんなさい。」
「悪いのは麻美じゃない、そいつらなんだよ。俺もついカっとなって、ごめん。とりあえず、警察に行こう。」
「それは...今は話したくない。」
警察に相談すればその時の状況を細部まで思い出し話さなければいけなくなる。2人組に対する怒りなどよりも、呼び起さなければならない記憶と再び向き合う方が、麻美の中では怖いのだと言う。
麻美の表情に晴れ間が差すことがないまま2か月ほどが過ぎた。その間、麻美は一切外出できず、また、大将との営みも一切なかった。大将は麻美に対し極力自然に、しかし笑顔でいれるよう努めた。
大将の気持ちを察し、少しずつでも前に進もうと、麻美は2か月ぶりに病院を訪れていた。出来るか出来ないかに関わらず、麻美が行っているのはタイミング療法だったため、いつがチャンスなのかを知っておくことはマイナスではないからだ。
慣れた検査を済ませ、担当医から営みの日の指導を受けるため、麻美の名前が呼ばれた。診療室に入り医師の前に腰かけると、
「おめでとうございます」
と担当医は言った。
その言葉をすぐに理解した麻美の五感は崩壊した。担当医の声は水中で音を聞くように、目には濃く靄がかかったように、手足は立っているのか座っているのかまるで分からなくなった。少しずつでも前に進もうと前を照らしていた微弱な光は消え、途轍もなく大きなライトが麻美から後ろだけを照らした。
治療を終え、麻美はふらつくように役所へ向かった。頭では何も考えられなかったが、体が勝手にそうしていた。
その夜、帰宅した大将に麻美は書類を手渡そうとした。それを見た大将は、
「離婚、届け?なんで?」
離婚届けを差し出される理由が掴めない大将がそうを聞くと、
「一緒にいれなくなった」
目を合せることもなく無表情でそれだけの言葉を発する麻美。
「もしかして、妊娠が原因?」
麻美は大将の言葉にぎょっとした。咄嗟に、取り繕うように視線を逸らした。離婚さえしてしまえば大将を失望させることがなかった、大将が知らなくて良い現実。
「そんなわけないじゃん」
麻美は強く唇を噛みながら返した。
「帰り道で先生に言われたんだよ。おめでとうって」
麻美は諦めたように深いため息をつき、決心したようにグッと唇を噛んでから口を開けた。
「そう。私、この子を産まなかったら次はもうないかもしれない。だから、ごめん...分かって」
大将の目はギュッと麻美を捕えている。
「全然分からない。なんでそれで離婚になるんだよ。」
「大将とは血が繋がってない、襲われた時の子なの。全部私が悪いの。私のワガママでこの子を産みたい。だから、ごめん、ごめん」
ダイニングテーブルには大将に手渡そうとしていた離婚届。
「警察に行ってくる」
大将の静かな声には、それまで麻美が感じたこともない深い怒りが沈んでいるようだった。
「何するの?私を訴えるの?」
「麻美をやった奴らを探してもらう」
「なんで?」
「いるんだろ、血が。俺と麻美がこれからも一緒に過ごすためにはいるんだろ。俺たちの未来にそいつらの血がいるんなら、俺の血全部抜いてそいつらの血を入れるしかないだろうが」
「大将、何言ってんの?」
「だから、なんで別れなきゃいけないのかが分からないって言ってるんだよ」
「産んで良いの?」
「当たり前だろ」
「血が繋がってなくても良いの?こんな私のままで良いの?」
「麻美じゃなきゃダメなんだよ。麻美と一緒だから、産まれてくる子どもも幸せだって感じてくれる瞬間がある気がするんだよ。辛いばっかじゃないって思ってもらえそうな気がするんだよ。」
大将は止まりそうもない麻美の涙を無理に止めようとはしない。しばらく喋れそうにない麻美を、背中から包んだ。
「これ、濡れて使えなくなっちゃったみたい」
しばらくして落ち着いた麻美は、大将の顔を覗き込みながらおどけた。
自惚れてた
タバコやめて!
急に思いついたので書きました。創作です。
☆★☆★☆★
「珠里、今日は学校でどんなことがあったんだ?」
「うーん、ふつうだよ。縄跳びして遊んだ。」
「そっか」
毎日仕事から帰宅し、一人食卓についいて、一人娘の珠里や妻と交わす他愛もない会話が俺の楽しみだ。
さらにこの時間は、日中仕事で家を留守にする俺が、家族について何かを知るための貴重な時間でもある。
この僅か30分から1時間そこらを大切にしているためか、周りの父親からは「よく娘さんのことが分かりますね」なんて言われ、謙遜はするものの、実のところ満更でもない。
俺は妻や娘を愛しているから、彼女たちに対する努力は誰にも負けていないという自負さえある。
「そういえば珠里、今日の保健の授業ってどんなだったんだ」
珠里は小学5年生になる。それくらいの時期の保健の授業の目玉といえば、言わずもがな「性教育」である。
娘達に対してどんな教育が施されているのか、親としては気になってしまうものである。
「今日はタバコだった。体に悪いんだって。」
「そうか、タバコか」
全くの予想外の授業内容に、相槌が素っ気なくなってしまった。
おもむろに珠里が立ち上がり、萎れた表情が俺の元に歩み寄ってきた。
「お父さん」
目の前の珠里の表情を覗くと、目にはうっすらと涙が浮かんでいる。
素っ気なくなってしまった返事が悪かったのか、ただ、それくらいで涙するような娘だったか、と思いつつも、謝っておくことにした。
「ごめんな。ちょっとぼーっとしてしまって。それで、どんな話だったんだ」
「違うの。お父さんにタバコやめてほしいの。体に悪いんだよ。あたし、今日習ったんだから!」
妻も俯き肩を揺らしている。すすり泣いているのだろうか。俺の体を思って。
「あ、あぁ。お父さんもやめようと考えてたところだ。」
つい珠里の勢いに気圧されて、妻の態度を見てしまってやめると言ってしまった。
口に出したことは守るのが我が家のルールである。それを子どもに徹底させるには、親が必ず守らなければいけない。
つまり、この瞬間から俺の禁煙が始まった。
しかし、つい昨日まで何も言わなかった娘がこれほど必死に訴えてくるくらい、タバコの害についての授業とは効果的なものなのだろうか。ある種の洗脳のようである。
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禁煙は想像以上に辛いものだった。吸いたい!という欲望を断たなければならないのはもちろんだが、何より辛いのは久遠とも感じるほどの強烈な睡魔との闘いである。
朝から晩まで、24時間常に襲いかかってくる睡魔。その睡魔に対抗するため、また、手持ち無沙汰を満たすため、大量のガムを食べることとなった。
タバコをやめて浮いた金は、むしろそれ以上に、噛んでは吐き捨てるガムとして消費された。
しかし、これも珠里を泣かせないためだ。そこに要する金が問題ではないのだ。
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禁煙開始から一週間ほどが過ぎ、タバコを吸いたい衝動も睡魔もだいぶ治ってきた。
しかし、大量にガムを噛む習慣が今度は染み付いてしまっていた。
「珠里、お父さんタバコやめたぞ」
まだ一週間ほどしか経っていないが、娘を悲しませなくて済む禁煙をやめる決断をしないことは断言出来たため、そう報告した。
「あっそ」
しかし、なぜだか珠里は怒っている。ふっと立ち上がり俺の元に歩いてきた。
そして、今や手放せなくなった俺のガムをジロジロ眺め、おもむろに掴んだ。
「サイアク」
サ・イ・ア・ク。珠里は今確かにそう言って、ガムを持って踵を返した。
かと思うと、突如開け放された窓に向かい急加速した。
「珠里!危ない‼︎止まれ‼︎‼︎」
「うるさい‼︎こんなものー‼︎」
珠里の手を離れたガムは、イチローのレーザービームの如く、バサバサという音だけを残して、一直線に窓の外にそびえる山の中へ消えた。
「何やってるんだ」
「だって、ガム買ったらタバコやめたいみないじゃん」
「は⁈どういう意味だ」
「お父さんのおこづかい減ったら、わたしのおこづかい増やしてくれるって、お母さんが言ったの‼︎」
あの時の妻の肩の揺れ、必死に笑いを堪えてやがったんだな。